ディズニー データベース 別館

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『ゾンビーズ』~居場所探しの序章

2022年7月15日、ディズニープラスにてシリーズ最新作『ゾンビーズ3』が配信開始されます。

ゾンビーズ』は2018年にディズニー・チャンネル・オリジナル・ムービーとして放映され、全米の初回視聴者は約250万人ものヒットを記録しました。

ディズニー・チャンネルでは2006年の『ハイスクール・ミュージカル』の大成功を機に、ティーンを主人公としたミュージカル作品に力を入れるようになりました。『ハイスクール・ミュージカル』以降、シリーズとして成功し三部作までの展開に成功したのは『ディセンダント』と『ゾンビーズ』の2シリーズとなります。

今回はシリーズ第1作『ゾンビーズ』のご案内です。映画との出会いや再会のきっかけとなりますように。


  • 目次

惹かれ合う二人の王道ミュージカル

ゾンビーズ』は主人公の男女が立場を超えて惹かれ合う物語が描かれています。相反する立場間の恋愛模様はミュージカルの名作『ウエスト・サイド物語』でおなじみのプロットであり、ディズニー・チャンネルの人気シリーズ『ディセンダント』でも応用されています。

リメイク版はディズニープラスで配信中

主人公はゾンビのゼッド

ゾンビーズ』の舞台となるシーブルックという町には、かつて事故によってゾンビが発生し50年もの間、壁の向こう側に隔離されてきたという歴史があります。本作はゾンビの本能を抑えるリストバンドの発明により、人間とゾンビの共学化が認められた初日から物語が始まります。

ゾンビ

主人公のゾンビ「ゼッド」はアメフト部のスターを夢見ています。基本的にゾンビたちは差別する側の人間へもあまり良い印象を持っていませんが、ゼッドは比較的ポジティブな考えを持ち、人間の社会に溶け込もうと考えています。

シーブルックでは、社会の多数派である人間が正当な存在であり、異端な存在となるゾンビは差別の対象とされています。舞台となる高校の共学化の経緯については不明であり、校長は「ゾンビの生徒を押しつけられた」と話しています。社会はゾンビの地位向上に向けて動いている一方、現場の教諭はまともに順応できていない辺りリアリティが感じられます。

ゼッド役はディズニー初出演となるマイロ・マンハイム。彼の母親カムリンは『ロミー&ミッシェル』や『ビッグショット!』に出演されています。

やはり迫害されるゾンビ

アメフト部入部を夢見て登校したゼッドですが、ゾンビは地下の教室の使用しか認められず、部活動や食堂の利用を禁じられていました。同じ社会で生活しているものの同等の権利を与えられていない様子は、アメリカが辿ってきた人種の歴史を彷彿とさせます。物語が進むとゼッドの活躍によりゾンビの食堂利用が許されるようになるのですが、それでも利用可能な座席に制限があります。

1955年、黒人女性のローザ・パークスがバスの白人専用の座席を利用し、居座ったことから逮捕された事件がありました。当時はジム・クロウ法によって座席の区別があったほか、停留所の待合場所も分けられていました。食堂のシーンではそうした歴史が繰り返されているような描写がなされています。

ヒロインは人間の少女アディソン

主人公が差別に苦しむキャラクターである場合、それに手を差し伸べる存在がしばしば登場します。『ダンボ』ならティモシー、『シンデレラ』ならフェアリー・ゴッドマザーです。彼らは差別する側・される側のいずれにも属さない第三者ですが、『ゾンビーズ』では差別する側に属している人間のアディソンがそのポジションに該当します。

ゾンビじゃないほう  ……だが?

このアディソンちゃんですが、彼女にも「何色にも染まらない白い髪の毛」というコンプレックスがあり、普段は金髪のカツラでそれを隠して生活しています。本人も気にしているのですが、カツラを被るように指示したのは彼女の両親です。

この映画の冒頭はアディソンの「シーブルック。ここは完璧に計画された町。」といったナレーションから始まります。シーブルックは普通の人間たちが普通に暮らす町で、急激な変化を良しとしない風土があります。そのためアディソンの両親も世間に溶け込むため、彼女の秘密を隠そうとします。子に関する知られたくない事実を世間にひた隠しにする親は『アナと雪の女王』に通ずるものがあります。

この白い髪の理由については1作目で触れられることはありません。アディソンは両親の影響でゾンビに気味悪い印象を抱いていましたが、『美女と野獣』のベルのようにゾンビを内面で判断するようになります。彼女の優しい性格もあるのでしょうが、彼女がゾンビに好意的であった理由にこのコンプレックスがあったことは明白です。

アディソンを演じるメグ・ドネリーは、今月開始する『ハイスクール・ミュージカル:ザ・ミュージカル』のシーズン3に出演が予定されています。

ゾンビ迫害派のバッキー

アディソンが憧れるチアリーディング部の部長は彼女のいとこバッキーです。バッキーは本作の憎まれ役で、人気者のチアリーダーたちを率いて多数派の筆頭としてゾンビを差別します。

この設定だけ聞くと、アディソンの髪の秘密を知り彼女を異端扱いして差別する展開が待っているのでは……とも思えますが、そんなことはなく彼は彼女の秘密を最初から知っています。

チアリーダー(人間)の部長に意見できない新人のアディソンの上下関係は明白ですが、バッキーに秘密を握られているアディソンという観点でもうっすらと力関係が示唆されているのが興味深いところです。

キーパーソンはゼッドの妹

ゾンビーズ』はゼッド、アディソン、バッキー、人間たち、ゾンビたちの5組でシナリオが進行していきます。ゼッドやアディソンにもそれぞれ友人たちがいて、見事なダンスパフォーマンスを披露していますが、彼ら以上に物語を動かすキャラクターがいます。ゾンビの女の子ゾーイ(キングストン・フォスター)です。

ゾーイはゼッドの小さな妹で、高校に通っていないので登場シーンは限られています。しかし彼女には相反する存在である人間のチアリーダーに興味を持ち好意的であるという性質があります。彼女にはアディソンのようなコンプレックスはありません。幼く純粋なことから、人間たちの差別への意識が希薄であり、人間の懐にも入り込む度胸があります。彼女の存在が他のキャラクターの心情を左右するところもありおいしい役どころとなっています。ぜひその活躍を見届けてください。


ゾンビーズ2』は主人公の描き方が丁寧な続編

ゾンビーズ』から2年後、続編の『ゾンビーズ2』が放送されました。



以下、『ゾンビーズ』のネタバレを含みます。



『2』では、ゾンビ、人間のほかに狼族という第三勢力が現れます。『1』でゾンビとの共存の道を選んだ人間でしたが、『2』で狼族の出現により反モンスター法が復活。狼族だけでなく再びゾンビにも行動制限が設けられてしまいました。アディソンは狼族から「君も狼族かもしれない」と告げられ、狼族こそが自分の居場所かもしれないと思うようになります。一方、ゼッドはそんな狼族をなかなか認められず、アディソンともギクシャクしてしまいます。

人間 ……じゃなくて狼族

白い髪のコンプレックスがきっかけで、この社会で生きづらい非人間に手を差し伸べるアディソンの行動基準は一貫しています。逆にゼッドは立場が変わったことで、『1』で受けていたような偏見を『2』ではする側になってしまいます。『2』は『1』のアディソンの行動動機を補足し、またゼッドの「ゾンビ」としての振る舞いとは違った「人間」としての振る舞いを映し出します。「単にお話の続きを作りました」ではなく、前作を踏まえた上で丁寧にキャラクターを深掘りしている印象を受けました。

丁寧だからといって面白いかどうかは別問題なので、そこの評価は是非皆さんの目で確かめてご判断いただきたく。

このシリーズで描かれるもの

いよいよ2022年7月15日配信開始となる『ゾンビーズ3』は、『ゾンビーズ2』のラストシーンを踏まえた作品となります。『1』でゾンビ、『2』で狼族を描いてきた本シリーズが『3』で遭遇するのはエイリアンです。これまで差別と反省を繰り返してきた人間たちですが、今度はエイリアンにも疑いの目を向けているようです。ポリリズムと言わんばかりのこの繰り返し感、『ジュラシック・パーク』シリーズを彷彿とさせます。

『1』と『2』は偏見を持つ側/持たれる側の関係を主軸にして、「差別はいけない」「違いを認め合おう」「団結しよう」というメッセージを発信しています。それとは別に、全体を通して「自分の居場所を求める少女の物語」が展開されています。『2』の意味ありげなラストの続きが描かれる『3』ではどのような結末を迎えるのか。ぜひ『1』『2』を踏まえて見届けてみてください。

『トイ・ストーリー4』相手を思いやり歩み寄る物語

2022年6月24日、金曜ロードショーで『トイ・ストーリー4』が地上波放送されました。


トイ・ストーリー』(1995年)、『トイ・ストーリー2』(1999年)から11年後に公開され完璧な完結編と評された『トイ・ストーリー3』(2010年)。その2年後を描いたのが『トイ・ストーリー4』(2019年)です。『4』は感動のクライマックスだった『3』の続編ということもあり、発表の瞬間から大きな話題となりました。


日本のファンからは賛否両論だったこともあり、なんとなく近づきがたくて今日初めてご覧になった方もいるでしょう。感受性は人それぞれですし、こうした大きなネガティブな声に惑わされて映画との出会いの機会を失ってしまうのはもったいないことです。映画を鑑賞してどう感じるかはあなた次第なのですから。


今宵は『4』を初めて見たよという方に向けて、『4』を振り返る記事をご用意しました。感動して涙を流した方も、モヤモヤが残ったという方も、『4』との出会いが実りあるものになりますように。


※『トイ・ストーリー』シリーズ全作品のネタバレを含みます。


価値観のアップデート

トイ・ストーリー4』の全体的なテーマに価値観のアップデートがあります。『トイ・ストーリー』『トイ・ストーリー2』『トイ・ストーリー3』において、ウッディは「おもちゃは子供のためにあるべきだ」という主義を一貫して抱えています。


『1』では、ウッディのもとに自分を本物のスペース・レンジャーだと思い込むおもちゃのバズがやってきます。ウッディは「お前はただのおもちゃだ」と指摘します。しかし、いざバズが真実を知り自身を喪失するとウッディは「お前はただのおもちゃだが、アンディにとっては特別だ」と励まします。ウッディの「おもちゃは子供のためにあるべき」という考え方は一作目から提示されていました。


『2』では、ウッディが持ち主不在のおもちゃたちと出会います。ウッディは彼らに寄り添い、捨てられずに生き続けることができるコレクター品として生きることを決意します。バズはウッディへの説得として「君はコレクター品ではなく、アンディにとって特別なおもちゃだ。」と『1』でのウッディの言葉をそのまま返します。


『3』では、大学生になったアンディが子供部屋を引き払うことになり、ウッディだけを大学の寮へ連れていき、他のおもちゃは実家の屋根裏部屋にしまうことにしました。他のおもちゃたちも基本的にはウッディと同じ考えでアンディの決定を尊重しますが、捨てられると勘違いしたため脱出を図ります。結局、アンディはおもちゃを保管せずに近所の女の子ボニーにすべて譲ることを決断します。


『4』ではこの「おもちゃは子供のためにあるべきだ」という価値観の見直しが行われています。新しい価値観は衝撃を与えるものでしたが、その新しい価値観は既存の価値観を否定する意図ではなく、むしろ既存の価値観を持つ人々を支援する形で新しい道を提示するものになっています。


本作のウッディは「おもちゃは子供のために」というアンディ時代の信条を引き続き掲げ、「ボニーの家」という新しい環境で次の子育てに従事しようとします。しかし、ウッディは新環境ではおもちゃたちのリーダーではなく、ボニーには見向きもされず、アンディの家の頃とは勝手が違いました。ウッディは表面上ボニーのおもちゃとしては用済みなのですが、その役割を全うする手段としてボニーが大事にしている自作のおもちゃ「フォーキー」を守ることでボニーに貢献しようとするも苦戦します。遊んでもらえないウッディはあくまでフォーキーを守るという役割に拘り、バズに交代を申し出られた時も断っています。


ウッディは旅行先で「迷子のおもちゃ」となったボー・ピープと再会し、「おもちゃは子供部屋に拘る必要はない」という彼女の価値観に触れることとなります。『3』までの価値観に縛られているウッディは「フォーキーを守って持ち主のボニーのもとへ帰る」という主張を手離そうとしません。遂にはボーに「それはボニーのためではなく、自分のためでしょう?」と見透かされてしまいます。


そんな彼にきっかけを与えたのはギャビー・ギャビーでした。彼女は「おもちゃは子供のために」という『3』までのウッディと同じ価値観を持っており、彼が当たり前のように感じていた生活に強い憧れを抱いていましたが、理想の女の子ハーモニーに拒絶されてしまいました。「あの子じゃなきゃダメなんだ」というウッディと同じ価値観に縛られているギャビーに対し、ボーから学んだ「子供は他にもたくさんいる」という言葉を引用し、新たな価値観を認めて励ましたのです。


それはアンディやボニーに固執していたウッディ自身の認識を改めるきっかけとなり、ボーの「おもちゃは子供部屋に拘る必要はない」という主張にも理解を示していくこととなりました。

迷子のおもちゃ

『2』『3』では、所有者不在の「迷子のおもちゃ」は可哀想な存在として捉えられており、彼らが価値観をこじらせてヴィランとなっていました。『4』でウッディがボーと再会した時、迷子のおもちゃとなったボーの境遇を知ったウッディが「ひどい……」と呟きます。また、『4』ではレックスやジェシーが「迷子」をかわいそうな子というニュアンスで使っています。彼らは冒頭のウッディと同様に「迷子は不憫だ」という前提のもとに物事を判断しています。


一方、ボーは「迷子」という言葉を「人生の迷子」というニュアンスで使用しています。『4』のラストでレックスが「ウッディは迷子のおもちゃになってしまったの……?」と訊ね、バズが「彼はもう迷子ではない」と答えます。レックスは『4』のウッディの経験を経ていないので相変わらず「迷子はかわいそう……」という前提で話していますが、バズはボーの生き方を尊重して回答しています。

『3』はアンディの成長の物語

『4』の視聴後、「『3』のラストシーンで味わった感動を台無しにされた」と感じる方もいるでしょう。これは「アンディがボニーを信じて大切なおもちゃを託したのに、ボニーはウッディを蔑ろにしている」という描写への不満でしょう。「アンディがかわいそう」という感想はまだ分かるのですが、「こんなことならアンディはおもちゃを手放してほしくなかった」というコメントには違和感を覚えます。


ここで改めて『3』を振り返ってみましょう。『3』のアンディは既におもちゃで遊ばなくなって数年経過しており、大人の階段の真っ只中にいます。『ピーター・パン』ではウェンディが大人になるということを「子供部屋からの卒業」という形で表現していますが、アンディの場合は「子供部屋からの卒業」に加えて「おもちゃとの別れ」という形で描いています。大学へ進学するアンディにはおもちゃについて4つの選択肢が与えられています。「捨てる」「譲る」「屋根裏にしまう」「大学へ持っていく」の4つです。


「大学へ持っていく」はアンディがおもちゃから離れられない、すなわち成長の放棄を意味します。一方、「捨てる」「譲る」はおもちゃからの脱却という表現でアンディの成長を描いています。おもちゃと決別して大人になったアンディはおもちゃと切り離して考えられる存在なのです。もちろんアンディとしてはウッディを大事にしてほしいと願ってはいたでしょうが、ボニーに所有権が移った以降アンディの希望はお気持ちでしかなく、ウッディの幸せに介入する余地はなくなったのです。では「屋根裏にしまう」という行為はOKなのでしょうか?おもちゃとしての所有権は継続されますし、気が向いた時に眺めることができるので「実用性」という点では良いでしょう。しかし、テーマ的観点としてはおもちゃからの脱却という選択肢を一旦保留にしただけであり、アンディのモラトリアムとなってしまいます。


『ピーター・パン』でいうと、ウェンディが「子供部屋からの卒業をあと一ヶ月待ってくれ!」と言って終わるようなものです。ウェンディは子供部屋からの卒業に自ら応じたことでハッピーエンドとなるのであり、卒業を保留にしたりネバーランドで子供のまま楽しく暮らすのではハッピーエンドになり得ないのです。


以上を踏まえると「アンディにおもちゃを手放してほしくなかった」というコメントは、『3』の本質を否定しているように聞こえてしまいます。映画の登場人物は実用性の最大効率を求めるわけではないのです。

『3』はウッディのモラトリアム

シリーズでも名作と名高い『2』と『3』にはテーマ上のある共通点があります。どちらも問題を先延ばしにしているのです。


『2』では悪役の「アンディは大学や新婚旅行へ君を連れていくか?」という主張に対して、「アンディの成長を止めることはできない。今を目一杯楽しむだけだ。」というウッディなりの回答を提示しています。これは限りある時間を楽しむ前向きなメッセージであると同時に、捨てられる心配については保留にしていると見られます。


その問題に答えたのが『3』です。『3』ではアンディの成長を認め、おもちゃたちは次の家へ貰われていきました。おもちゃにとっても一見ハッピーエンドですが、アンディからボニーに変わっただけでまた数年後には同じ心配を繰り返すことになります。『2』で提示された「アンディに捨てられるかも…」というミクロな心配が「持ち主に捨てられるかも…」というマクロな心配に転換されただけとも見えるでしょう。


『3』が私たちの心に強く響いたのは、『3』のテーマがアンディの視点で投影しやすいものだからではないでしょうか。『3』はアンディがウッディに別れを告げる物語であり、ウッディはアンディとの別れにおいて決定的な判断は下していないのです。


実際、『3』でお互い前向きに別れを告げたように見えて、ウッディのほうにはまだ心残りがあったのです。このアンディへの依存(呪縛)が『4』のウッディの欠点(既存の価値観への執着)となっています。そしてこの呪縛は『3』までのアンディとウッディの絆に愛着を持ちすぎたファンにとっても色濃く残ってしまいます。

『4』はウッディとアンディの最終章でもある

『4』はウッディの物語なので、アンディの成長に焦点を当てた『3』とはそもそもの視点が異なります。それゆえ感動の大きかった『3』の視点でそのまま『4』を見た際に面食らったという人が結構いたのではないでしょうか。


製造不良のため子供に遊んでもらえず半世紀を過ごしたギャビーに手を差し伸べるまで、ウッディにとってアンディの部屋で培ってきた価値観が絶対的でした。ボーに諌められた際に「もう俺にはこれしかないんだよ!」と叫んでいます。自分がボニーのために尽くさなくてはいけないのは、アンディとの生活で培った価値観であり、アンディがボニーに自分を与えることを望んだから。『3』をアンディの視点で見届けた視聴者にとってウッディの依存は共感を覚えるのです。


ちなみにウッディが今なおアンディにしがみついているという伏線は映画全体を通して描かれています。ウッディがアンディとの経験を語った際には「ボニーとアンディは違う」とドーリーに指摘されました。真っ暗なRV車の中でバズと語らう際、「アンディの時はこんなに大変じゃなかった」と話しています。また、ウッディはフォーキーと二人きりで夜道を歩いている際にボニーとアンディを言い間違える場面もありました。フォーキーがギャビーにウッディの話をする際にも「アンディのことをまだ引きずってる」と話すコミカルなシーンもあります。このフォーキーによるイジりは決してコメディなだけでなく、ウッディが抱えている悩みの本質でもあるのです。


ウッディはアンディのおもちゃとしての役割を終えたことを自覚し、新たな道を見据えた時、ボニーのおもちゃとしての役割を保安官バッジに託してジェシーたちに引き継ぎ、新しい世界へ飛び出していきました。


リメンバー・ミー』では「人は二度死ぬ」という概念が語られます。一度目は死亡した時。二度目は生きている人間に存在を忘れ去られた時でした。それに似た感覚で、子供とおもちゃの別れという概念も複数のタイミングから成り立っているのだと思います。『3』では遊ばれなくなった時、持ち主が手放した時が描かれます。そして『4』ではおもちゃが別れを受容して自由になった時が描かれました。『4』はあくまでフィクションでしか成立しない概念ではありますが、ウッディがアンディから卒業できた時。


シリーズとしての一貫性に欠けると批判されることもある『4』のテーマですが、環境の変化に応じて凝り固まった価値観を是正していく(=ボーの価値観を認め、アンディへの過度な依存から卒業する)ウッディの成長は、過去作からの一貫性がないからこそ描くことのできたテーマであると言えるでしょう。このピクサーらしいチャレンジングな姿勢を受容できるかどうかが『4』のテーマへの好みが分かれるところかと思います。

バズもボーも成長している

2010年代後半はディズニー映画においても女性活躍の凄まじい時代でした。『1』『2』では文字通り置物のようなアイコンであったボーが大活躍します。ボーはウッディに新たな価値観を与える先輩として彼を導き、時に諫めます。ボーは一度自分勝手なウッディを見放しますが、ギグルとの問答の結果、今のウッディの愛すべきところを思い出して彼のもとへ戻ります。


「価値観のアップデート」の素晴らしいところは新たな価値観を認めることにあります。ウッディは既存の価値観に固執するという欠点を持っていますが、既存の価値観に縛られるウッディを「困った奴だ」と決めつけるボーの振る舞いもまた相手の価値観の否定となってしまうのです。ボーは現在の価値観に安心と誇りを持っていますが、かと言ってウッディの価値観を否定して良い理由にはならないのです。偶然にも『4』でウッディとボーがお互いの価値観を認めたのは同じタイミングであり、お互いの価値観を認めているからこそウッディとボーの別れが感傷的になるのです。


ウッディとボーの価値観の相違は7年間も離れて生活していたことで生まれました。一方、長年ウッディの一番近くにいたバズは『4』の冒険でウッディがボーの価値観を認めたことをすんなりと受け容れることができました。バズがウッディを送り出した言葉は「ボニーのことは私たちに任せて、君は自分が選んだ道を行きなさい」なんて丁寧なものではなく、「ボニーは大丈夫だ。」という簡潔な一言でした。「ウッディとバズの別れがあっさりしすぎてて泣けなかった」という人もいると思いますが、逆にウッディを熟知したバズだからこそのあっさり感に涙してしまうという説を推したいです。


『4』の決定的な欠点

新たなテーマに挑んだ『4』ですが、全体的に主人公のウッディの行動の動機の描写の伝わりづらさを感じます。


たとえば冒頭でウッディが遊んでもらえない描写はありますが、キャンプの道中では遊んでもらっています(プリックルパンツやエイリアンはキャンプ自体不参加)。アンディ時代ほどではないにしろ「そこまで絶望的か?」と思ってしまうような描写であり、ウッディが衝撃の決断を下すには弱いのではないかと感じてしまうところがあります。ただウッディを絶望的に描けば描くほど、その要因であるボニーが悪者になってしまうので製作陣としてはその塩梅が難しかったのかもしれません(後述)。どちらにせよ『3』のアンディ視点のエンディングと『4』のウッディのテーマでは両立し得ない難しさがあると感じます。


ウッディの最後の決断に至った経緯もやや伝わりにくいと感じます。終盤、ウッディはギャビーを励ますにあたりボーの価値観を認め、ボニーや仲間のもとを離れる決断をします。ウッディとしては

「ボニーに飽きられて自分の存在意義について葛藤していたところ、ボーと再会し彼女の新たな価値観を理解できた。俺の価値観はアンディ時代に培われたもので、ボニーと俺との関係性でもそれが正とは限らない。であればボニーのお気に入りのジェシーに今までの役割を任せ、ボーと共にギャビーのように俺の既存の価値観を理想とするおもちゃと彼らの未来の持ち主である子供たちの手伝いをしたい。」

………ぐらいの心境の変化があったと思いますが、価値観の変化から別れの決断までがとんとん拍子で進むこともあり、

「ボニーに飽きられて居心地悪いし、ボーと仲直りできたし、彼女のもとに行っちゃお!ひやっほう!!!」

という風に見えてしまった視聴者も多いかもしれません。


『4』の犠牲となった者たち

ストーリーありきでファンに愛されてきたキャラクターが動かされているような違和感がシナリオ全体に漂っています。内なる声(ランダム音声再生機能)に振り回される不思議ちゃんなバズや、7年前の時点でモリーのもとを離れる前から既にめちゃくちゃアクティブなボー・ピープ、物語をかき乱さないためか全く絡んでこない同僚のおもちゃたち、そして我らがボニー・アンダーソン………。ウッディは欠点を克服する主人公の立場なのでさほど改悪とは感じませんでしたが、彼のファンにとってはかっこいい主人公が「老害」のように描かれるのは面白くなかったことでしょう。


ボニーについてはプロット変更による犠牲となった点が拭えません。本作に限らず、ピクサーは長い時間をかけて脚本を練り上げていく上で、当初想定していたテーマと全く違う物語になることがしばしばあります。『4』はシリーズの生みの親であるジョン・ラセターの退任劇と重なったこともありプロット変更による影響が大きかったようです。本来の『4』では、ボニーがウッディに飽きたところから始まり、ラストシーンでウッディと和解することでボニーの成長が描写される予定でした。しかし度重なるプロット変更により、物語の入口となる「ウッディに飽きるボニーの要素だけが残される結果となってしまったのです。


なお、ボニーの描写については、視聴者が子育てを経たかどうかで印象も変わるようです。製作陣の意図としてはボニーを特別薄情な子ではなく、どこにでもいる普通の子として描きたかったのだと推察されます。普通の子とはここではボーの言う「毎日のようにおもちゃをなくす子供」のことです。『4』の回想エピソードでおもちゃを大切にするアンディですらRCを置き忘れてしまう普通の子として描かれています。フォーキーの不在には気付くのにウッディには気付かないボニーと、ウッディの不在には気付くのにRCには気付かないアンディ。アンディもボニーも同じだということで彼女をフォローしたかったようにも見えますが、それにしてはシリーズの視聴者にアンディが神聖視されすぎていたのかもしれません。次の項に続きます。


『4』で描いたテーマの重荷

『4』について「映画としては面白かったけどナンバリング外でやってほしかった」「トイ・ストーリー以外でやってほしかった」という感想を持った方はいませんか。「価値観のアップデート」の項で振り返ったとおり、『トイ・ストーリー』シリーズは基本的なテーマを掲げながらも、過去作の問題提起を次作で回収するケースもあります。


持ち主のいないおもちゃについては過去作でもたびたび設定として触れられてきたところです。『3』までに登場したおもちゃたちは、所有されて遊んだり飾ったりされることに価値を感じており、無くされたり捨てられたり倉庫に置き去りにされることは不幸だと捉えていました。それはウッディやジェシーのような善人でもプロスペクターやロッツォのような悪人でも同じです。そんな彼らに新たな生きる意味を提示した本作は、『3』までの「おもちゃは人間に動いてるところを観られちゃダメなんでしょ。で、捨てられるのが怖いんでしょ。ハイハイ。」なおもちゃの価値観に支配されてきた視聴者や製作陣にとって大きなギャップを感じさせる上でも、意義のあるテーマだったと思います。ただそのテーマを描く上で既存のキャラクターたちの動きや描写が不完全燃焼だったように見えます。


既存キャラについてはちょっと残念なところもありましたが、新規キャラのヴィランについては本シリーズでやることの意味が感じられました。辛い過去を背負って『2』のプロスペクターや『3』のロッツォはヴィランとなりました。ギャビーはどうだったでしょうか。ハーモニーはウッディを欲しがったのに、同じウッディのボイス・ボックスを持っている自分のことは欲しがってくれない。「自分が愛されないのはボイス・ボックスが故障しているからだ」という思い込みを否定されて逃げ道を失い、ウッディへの憎悪を燃やして同じくヴィランになり得る瞬間はありました。しかしギャビーはロッツォと違い、ウッディの差し伸べた手を掴みました。それは彼女もウッディと同じく相手の価値観を受け容れて歩み寄る器がある子だったから。この『3』のロッツォで描かれた選ばれなかったおもちゃへのアンサーが上手く回収されているのが『4』が『4』である大きな必要性だったのではないでしょうか。


以上を踏まえて、『4』の物語は完全新作の映画としてやるより、『トイ・ストーリー』シリーズでやるからこそ意味のある物語だったと思います。その一方で、このシナリオをやるには『トイ・ストーリー』が多くのファンに支持されて偉大な存在になりすぎていたように感じました。


さいごに

トイ・ストーリー4』は最近のディズニー/ピクサーで連発された「既存の枠組みの見直し」「新たな価値観へのアップデート」といったテーマが『トイ・ストーリー』という大人気シリーズで描かれた作品となりました。『1』から24年を経た美しい映像や歴代シリーズの音楽を含めた演出は素晴らしく、世界中で高く評価されています。ただ、テーマが先行してキャラクターに違和感を持った人もいたかと思います。もしも続編が製作される際には、革新的なテーマに挑みながらも既存キャラクターのファンに寄り添った気配りがあると嬉しく思います。


実際、『4』には長所も短所もあると思います。その感想がポジティブなものであれネガティブなものであれ、シリーズを通して視聴して育まれたあなた自身の感情なので大切にしてほしいと思います。ただ、くれぐれもその声を発信する際には周りにその価値観を押し付けないようにしたいですね。自分の価値観を尊重しつつ互いを認め合うことこそが『4』の温かい世界なのですから。

『白雪姫』~物語のテーマを検証する

読者のみなさん、お久しぶりです!
初見のみなさん、はじめまして!


充電期間と称して一年間ブログを寝かせ、大河小説を連載していた2021年。2022年になりブログを一度も更新することもなく早くも半年。6月中に記事の更新を目指していたところ、7人のいたずら好きなAIによって7日間乗っ取られてしまっていたようです。


disneydb23.hatenablog.com

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ようやく彼らの魔の手から解放され、本日正真正銘1年半ぶりの新着記事更新に漕ぎ着けた次第であります。


今回は再出発の第一歩として、長編映画第1作である『白雪姫』のテーマをテーマに投稿したいと思います。(ここまで茶番)


それでは久々に、今回も1億3,000万人の誰か一人にでも響くことを祈って…!

はじめに

映画のストーリーは物語を綴るだけでなく、それを通した教訓やテーマが描かれることも多くあります。


たとえば、『アラジン』では主人公のアラジンは王女に恋をして、身分を偽ることで恋を成就させようとしますが、嘘をつくことで良心の呵責を経験します。


『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』では、野良犬の窃盗集団に仲間入りした子猫のオリバーがお金持ちの少女に拾われ、貧乏生活よりもお金を持つことの素晴らしさを学んでいきます。


で、『白雪姫』については私はテーマがイマイチよく分からないのです。

物語の構造を読み解く

物語の教訓は登場人物が経験した事柄によって「こうしてよかった」「ここをこうすればよかった」という振り返りのプロセスによって描かれることがほとんどですから、誰の視点でこの物語を見直すかが大事になってきます。


で、私は物語を読解することを壊滅的に苦手としています。映画のレビューとかで「映画全体の●●というメッセージが素晴らしかった」のようなフレーズを読むたびに「おぉ、そうなのか!なるほど!」ってなりますし、映画の舞台となる時代背景や専門知識から裏テーマを導き出す人についてはとりあえず凝視します。というわけで、当ブログには普通の作品レビュー記事はほとんどありません。


さて、私に共感してくださった方々が(もしいれば)読解において第一にすべきは物語の構造を掴み取ることです。物語を簡潔なあらすじに落とし込むとすると、「●●が××をする物語」というシンプルな形にすることができます。ここに経緯やら修飾語を付けていくことで、あらすじができあがります。



たとえば白雪姫視点のあらすじは
「その美しさゆえ女王に命を狙われた白雪姫が七人のこびとに匿ってもらうが、老婆に変身した女王の毒リンゴによって眠りの呪いに掛けられてしまい、密かに憧れていた王子様の初めてのキスによって目覚める物語」
です。

「殺人の回避」「こびととの出会い」「毒リンゴの呪い」「キスによる復活」の4点(要素)が線となって紡がれているのが彼女の物語だといえるでしょう。


七人のこびとの視点ではどうでしょうか?
「白雪姫の保護・交流」「毒リンゴの呪い(を許してしまう)」「キスによる復活」といった要素があります。白雪姫と出会って以降は彼女と同じような要素が続いていますね。つまりは七人のこびとは白雪姫をフォローアップするサイドキックの役割であり、主人公サイドの主軸はあくまで白雪姫であることが分かります。余談ですが、ここでサイドキック視点の物語を再構築すると『ライオン・キング3 ハクナ・マタタ』『美女と野獣:シング・アロング』のような派生作品が生まれます。


最後に女王の視点も確認しておきましょう。
「世界一の美女になるため障害となる白雪姫を殺害しようとするが失敗してしまい、自ら老婆に扮して毒リンゴで眠らせることに成功するが、七人のこびとに追い詰められて崖から転落死してしまう物語」です。悪役視点なので失敗の物語となりますね。彼女の教訓は「美を追求するあまり身の破滅を招いた」という教訓が描かれます。


仮説① 見知らぬ人にも親切にしよう

七人のこびとの視点で考えてみましょう。こびとたちは仕事からの帰宅後、ベッドで寝ている見知らぬ女の子を警戒していました。彼らはその女の子「白雪姫」の境遇を聞き、匿うことを決意しました。最終的に彼らは白雪姫という素晴らしい友ができました。「人に親切に」というのは人間として大切なテーマですよね。

仮説② 美しさに惑わされるな

では、美を追い求めて身の破滅を招いた女王を教訓とするのが物語のテーマなのでしょうか?物語のありがちなテーマに「●●より大切なものがある」というパターンがあります。「●●」には「美しさ」や「お金」「地位」などのように、「価値はあるけど卑しい」としやすいものが入ります。逆に「友情」「家族愛」「思いやり」のように耳心地のよい言葉は入りません。


なるほど、「女王のように美しさにとらわれて道を踏み外してはいけないよ」というメッセージ性ならあり得そうですよね。


こちらの二つの仮説、どちらもアニメ映画のテーマとしては申し分の無いメッセージではないでしょうか。しかし仮説は仮説。これらの仮説に一石を投じてしまう人物がいるのです。どこのどいつだい?



アタシだよっ

反証① 見知らぬ人にも親切にしよう

白雪姫は見知らぬ老婆に親切にしたばっかりに命の危険を経験しました。むしろ「見知らぬ人には用心しろ」というほうがテーマに近いと言えるでしょう。もし逆に、七人のこびとが見知らぬ人に厳しければ白雪姫は路頭に迷っていた可能性も考えられます。

反証② 美しさに惑わされるな

なんせ主人公はこの世で一番美しい女、白雪姫です。繰り返しにはなりますが、ストーリーにおける白雪姫は基本的に受け身の存在でありながら、狩人に見逃され、こびとに歓迎され、王子に救われています。狩人が白雪姫を逃したのは罪悪感からだと想定されますが、白雪姫の容姿次第ではブッスリやられてたかもわかりません。こびとに初めて出会った際もお姫様という地位や家事スキル、そしてもちろん愛らしさも彼らに好印象を与えました。白雪姫の容姿次第ではほっぽり出されてたかもわかりません。王子との出会いにおいてもそうです。白雪姫の容姿次第では素通りされていたかもわかりません。白雪姫が生き延びるこの物語において、彼女の容姿が与えた影響を無視することはできないのです。

さいごに

『白雪姫』は「人に親切にしよう!」「目先の美しさにとらわれてはいけない!」といったシンプルなテーマで括ることなく、視点が違えば教訓も違う………そんな物事の捉え方の差異や二面性を持つテーマについてシニカルに描き出しているのかもしれません。だとすると、馴染みのあるおとぎ話がにわかに深い味わいのある物語に感じられてくる方もいらっしゃるのではないでしょうか。


当ブログ『ディズニー データベース別館』では、誰か一人にでも響いたらいいなをコンセプトに不定期で記事を更新しております。またご縁がありましたら是非。


ちなみに、今年は『白雪姫』公開85周年を迎えます。映画の楽しみは人それぞれ。あなたはどんな視点でこの映画を楽しむのが好きですか?



END

第1回『白雪姫』~世にも大事な家族会議

午後のある昼下がり。ある一家では家族会議が開かれていた。

父「よし、(1)の週末は出かけるか!」

母「あら、どういう風(2)吹き回し?」

姉「パパ、(3)にか企んでるんじゃない(4)?」

父「な、失礼な!(5)ぞくサービスだよ」

姉「どうだ(6)」

弟「で、どこに行くの?」

父「東京ディズニーランドに行くぞ!」

母「えっ、ほ(7)とに?!」

姉「パパ、愛してる!」

弟「やったー!」

父「お前たちは当日(8)計画を考えておきなさい」

弟「何に乗りたい?」

母「やっぱり絶対に乗ってお(9)たいのは…」

姉弟「「「白雪姫!!」」」

父「えっ!」

母「やっぱり気品溢れる(10)ょおうさまに憧れるわぁ」

弟「あ(11)手に汗握る崖上の決戦シーンは外せな(12)よね!」

姉「数年前に待(13)列のアナウンスが変わったから聞きに行かなきゃ」

弟「ところであのアナウンスって誰なの?」

姉「あれは七人のこびとの先生ね。言葉を言い間違えるっていうキャラだから」

母「確かに声だけだから、熊倉さんじゃないとピンと来づらいか(14)しれないわね」

姉「その点、英語アナウンスのおこりんぼは安心のコーリー・バートンだからね!」

弟「ハニーハントのティガーとかはちゃんと名乗ってくれるから配慮が行き届いてるよね」

姉「安全なことが大好きと豪語するティガーなんて、私にとっては解釈違いだわ」

弟「(15)ゃあどんな台詞ならよかったのさ?」

姉「安全なことをまじ(16)にアナウンスするのだから、ラビットなんかが適任ね」

弟「キャラクター自体(17)変えちゃうんだ」

母「私に言わせれば玄田さんの新録音声は贅沢で最高だわ。チケット代がこうした営みに(18)かわれているのなら、値上げだって気にしないわ。」

姉「白雪姫だけど、つ(19)けて何回乗る?」

父「え、何回も乗るの…?」

弟「あれ、お父さん。や(20)に静かだと思ったらどうしたの?」

父「そ、そんなに何回も乗らなく(21)もいいんじゃないかな…」

母「どうして?せっかくのディズニーなの(22)?家族全員で白雪姫に最低10回は乗らなくてどうするのよ」

父「魔女が怖いから(23)り……」




白雪姫へ並々ならぬ情熱を燃やす彼らの計画会議はまだまだ終わりそうにない。



oTobokeから送信

第1回『白雪姫』~悪者コンサルのリスク管理講座

いきなりですが、「リスク管理」してますか?
パソコンのデータをいじる前にバックアップ取ってますか?
お店に行く前に公式サイトで定休日を確認してますか?
イカを思いっきりかじる前に種があるかチェックしてますか?


回避の難しいリスクは数あれど、最低限のリスク検討は怠らないようにしたいものです。常に負け続けるディズニーの悪者たちはリスク管理をちゃんとできていたのでしょうか?


申し遅れました。私のような悪者コンサルの仕事をしていると、リスク管理がおろそかになっているクライアントの方、結構いらっしゃいます。本日はせっかくお越しいただいたのですから、無料体験のような形で見学していきませんか。実際に相談者の方が来ていますので、今回は彼女の悪事について改善点を検討していきたいと思います。

今回の相談者は『白雪姫』の王妃さんです。
悪事の前に用意したというプロジェクト計画書を提出していただきました。



ありがとうございます。達筆でいらっしゃいますね。さて、まず本プロジェクトの背景には「世界一の美女になりたい」と書いていただいています。大きな夢ですね。素敵です。王妃さんは既に世界で2番目だそうです。一番じゃないとダメなんでしょうか?二番じゃダメなんですか?


この書きっぷりだと、世界一が最終ゴールになってしまっていますね。これでも構わないのですが、世界一の美女になることで何を実現したいのかが言えるとよりゴールが明確になると思います。それによって手段も変わることはありますし、目的意識って大事ですよね。


で、本プロジェクトのゴールなんですが、「自分が一番になるために、一番である白雪姫を殺害する」ということですね。なるほど…。


天才か!


殺しともなるとリスク管理はとても重要です。中途半端なやり方だとすぐ逮捕されて裁判ですからね。おや、今回の相談者さんは女王でしたね。つまり、司法もへったくれもない、と……。


天才か!!


権力にものを言わせて徹底的にやってやる作戦ですね。で、その手段は?「手下の狩人が彼女を城から離れた花畑へ連れて行き、花を摘ませて油断させて刺殺」……と。


あれ、弱くない?


目的の所まではよかったんですがねぇ。さて、計画において不確定な要素はリスクになり得ます。今回のケースだと、実働の部分が狩人さんに任せきりになっています。狩人さんを高く買っているようですが、そこまでの実力および信頼関係があるのでしょうか?もしそこが怪しいのであれば、城から離れた花畑だと裏切られるリスクも上がります。その場合は、貴女の目の前でやらせたほうが良いと思います。



で、どうだったんです?狩人に裏切られた?あぁ、それは残念でしたね。で、諦めずに次の計画を立てたということですね。



なるほど。手段のみ書き換えていただいた形ですね。どれどれ。


まずは魔法の薬で醜い老婆に変身し……


おいおいおいおい。


魔法の薬で変身だなんて大丈夫ですか?元に戻れないと、本来の目的である世界一の美女を逃すことになりますよ。


今回の計画で使用する毒リンゴの効果が永遠の眠りというのも気になりますね。この呪いは愛する人ファースト・キスで解かれるとのことですが、そこまでは気が回らなかったのでしょうか。どうやら確認した上で、そんなことは起きるはずがないと思ったようですね…。なるほど……。それに死んだと勘違いしたこびとが彼女を生き埋めにするのを待つ、というのもナンセンスですね。なんせ相手は世界一の美女です。死んだと思ってもすぐに埋めたり焼いたりせずに大事にディスプレイしておくヤバい奴だって世の中にはいるんです。こびとがどうだったかはともかく……。


で、こちらは上手くいったのでしょうか?あ、毒リンゴを食べさせるところまではうまくいったのですね。それは結構。で、その後こびとたちに追いかけられ、崖から転落死してしまった…と。ご愁傷様です。その後、白雪姫がどうなったかは分からないわけですね。でも白雪姫が生きてようが死んでようが、死んでしまったあなたにとってはもはや関係の無いことですね。


お話を伺った範囲で反省ポイントを書き出してみましょうか。


【王妃様の反省ポイント】
狩人に白雪姫殺しを命じた
→良心に目覚めた狩人に裏切られました。殺人を厭わず、白雪姫に負の感情を持つ人をスカウトしましょう。

城から離れた花畑を殺害現場に指定した
→アリバイ作りが目的だったのかは分かりませんが、実際に結果を確認する「検証」のプロセスが決定的に欠けています。

醜い老婆に変身
→当初目的である世界一の美女になるに大きく反する行為です。大丈夫だとは思いますが、ちゃんと戻れるかの確認はしておきましょう。

毒リンゴで永遠の眠りにつかせる
→この呪いの条件を見るに、白雪姫に気になる人がいたかどうかの身辺調査は必須でした。

こびとが埋めるのを待つ
→直接手を下さないのが流行っているかもしれませんが、これも人任せが過ぎますね。



さて、王妃さんは結果の検証を疎かにする傾向があるようです。2回とも狩人やこびとにとどめを刺させる作戦を立てられています。魔法の鏡で結果を確認できるとはいえ、もし「失敗」となれば現地に赴く必要がありますからね。その点、ヌーを暴走させてお兄さんを殺した『ライオン・キング』のスカーさんはきちんと現地に赴き、とどめも自らの手で刺していらっしゃいます。また、周辺情報の確認も少々雑ですね。今頃、白雪姫は呪いを解いていつまでも幸せに暮らしているかもしれませんから…。


【王妃様の改善カルテ】
・部下との信頼関係を築こう
・大事な確認と検証は人任せにせず自分でやろう
ステークホルダーの情報収集は基本


SNS全盛の時代であれば気付けていたかもしれない…。

kUshamiから送信

第1回『白雪姫』~映画を彩る劇中歌たちは何曲?

最初の長編アニメーション映画である『白雪姫』はミュージカル映画として数々の名曲を後世に残しました。


私の願い

王妃の城の中庭で掃除をしている白雪姫が歌う最初の楽曲です。彼女の歌声に魅かれた王子がここを訪れて二人は初めて出会い、王子の歌「ワン・ソング」へと続きます。長編アニメーション初のプリンセスソングと言えるでしょう。

東京ディズニーランドでは、「白雪姫の願いの井戸」やエレクトリカルパレード、「ミッキーマウス・レビュー」で彼女の歌声を聞くことができます。

スマートフォン用アプリ『ディズニー ツイステッドワンダーランド』では、白雪姫をモチーフにした人気タレント「ネージュ・リュバンシェ」のCMのフレーズにこの曲の歌詞が引用されています。

ワン・ソング

「私の願い」に引き続き、王子が白雪姫に向けて歌う楽曲です。長編アニメーション初の王子ソングですね。

他の有名楽曲と比べると一般的な知名度は大きく下がりますが、映画ではオープニングからフィナーレまで印象的なスコアとして使用されています。

歌とほほえみと

王妃の魔の手を逃れた白雪姫が、森の動物たちと触れ合う場面で歌う楽曲です。

エレクトリカルパレードでも使用されていますね。

口笛吹いて働こう

白雪姫がこびとたちのコテージに辿り着き、森の動物たちと一緒に掃除をしながら歌う楽曲です。

プリンセスといえば動物仲良しで一緒に家事をする、というイメージを決定づけた楽曲と言えるのではないでしょうか。『魔法にかけられて』の「歌ってお仕事」でも動物の掃除のモチーフが引用されています。

「ハイ・ホー」と並ぶ二大労働ソングともいうべきか、『ドナルドとヤギ』や『がんばれ!みつばち』などの短編アニメでも使用されていました。

テーマパークではエレクトリカルパレードで使用。「ミッキーマウス・レビュー」の序曲としても印象的でした。スマートフォン用アプリ「ディズニー ミュージックパレード」(ミューパレ)でもアレンジされています。

ハイ・ホー

こびとたちの労働から定時退勤、帰宅までを彩る、世界一有名なディズニーソングの一つです。

サビでは「仕事を終えて家に帰ろう」と歌っているのですが、日本語版では「仕事が好き」という何の脈絡もない意訳の歌詞にされており、「そんなところにまで日本人の社畜気質を表現しなくても…」としばしばネタにされています。

『ディズニー ツイステッドワンダーランド』では輝石の国の童謡「みんなでヤッホー!」というそのまんまな歌が登場します。

エレクトリカルパレードや「ミッキーマウス・レビュー」でもおなじみです。ミューパレにも採用されています。

ブラドル・アドル・アム・ダム

家事をする代わりにこびとたちのコテージに匿ってもらえることになった白雪姫。彼女にスープを飲む前に手を洗うように命じられ、こびとたちが手洗いに挑戦する場面で使われるのがこの楽曲です。

小人達のヨーデル

白雪姫とこびとが演奏やダンスで楽しく過ごす楽曲です。ヨーデルミッキーマウスの2代目声優や様々な効果音で知られるジミー・マクドナルドが担当しています。

東京ディズニーランドの「白雪姫と七人のこびと」では白雪姫の唯一の登場シーンで使われています。エレクトリカルパレードや「ミッキーマウス・レビュー」、ミューパレでも使われています。

いつか王子様が

「小人達のヨーデル」で楽しく踊らせてもらったお礼に、白雪姫がこびとたちに話した素敵な恋の物語を描写した楽曲です。ハッピーエンドのフィナーレでも使われています。

白雪姫による代表曲であり、初期のディズニープリンセスとは切っても切り離せない三拍子のバラードとして展開されています。結婚式でもアレンジのBGMとして人気が高いようです。

エレクトリカルパレードやミューパレでも採用されています。


★★★★


以上、『白雪姫』を彩る劇中歌は全部で8曲でした。尺や演出の都合で必要なものを残していった結果、8曲となったのでしょうが、きっとこびとの人数に揃えたんでしょうね。



おわり。
























…ん?
こびとの人数が違うって?

『白雪姫』のこびとですよ。そりゃもう八人のこびとに決まっているでしょう。

その目は疑っていらっしゃいますね?証拠だってあるんですから。

おとぼけ、くしゃみ、ごきげんのベッドに眠る姫
4台目のベッドには鹿が眠る
5台目のベッドにはウサギ
そして6,7,8台目はみんなで仲良く使用中


ほらね……?


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第1回『白雪姫』~狩人の年収も恋人も分からない

ディズニー映画『白雪姫』で最も勇敢なキャラクターは誰でしょうか?白雪姫?それとも、おこりんぼ?

一年半ぶりの更新となるアニメ映画のスター紹介ブログ第1回ということでですね、映画界に燦然と輝く長編アニメーションの金字塔『白雪姫』のスターをご紹介したいと思います。

今回スポットを当てるスターはこちらの男性です。

彼こそが、何を隠そう劇中で最も勇敢なキャラクター「狩人」です。お写真からとても真面目そうな雰囲気が伝わってきますね!そんな狩人さん、どんなお仕事をされてるんでしょうか?年収は?家族構成は?彼女はいるの?調べてみました!

王妃から直々に仕事を任されるなんて、かなり信頼されている証拠でしょう。もっとも映画の中には他の従業員は出てこないのですが。

さて、狩人さんのお仕事なのですが、調べてみたところよく分かりませんでした。狩人という仕事柄、獲物を捕らえたりしていたのかもしれませんね!

年収については、調べてみたのですがわかりませんでした。でも王妃様に仕えているのであればかなり多そうですよね!

家族構成や彼女などについては、調べてみたのですが分かりませんでした。狩人さんにも幸せなご縁があるといいですよね!

いかがでしたか?今回は『白雪姫』の狩人について調べてみました。さて、ここまで読んでいただいたみなさんはこんなことをお感じになっているのではないでしょうか?

コイツのこと、何もわかってないじゃねえか、と。

うぅ……うぅ…(泣)

でも仕方ないのです。彼の登場するシーンは映画の中でわずか2分30秒なんですもの。(画面に映っている時間だけでカウントするを約50秒)

映画で彼が命じられたのは、あろうことか王妃の身内殺しでした。自分が世界で一番美しくなるため、障壁となる美少女である白雪姫を殺し、証拠に心臓を持ち帰れと狩人に命じたのです。王妃は狩人に「まず白雪姫を森の奥へと連れていき、そこで花でも摘ませておやり」と言いました。これから殺す相手のお手洗いの心配までするとは何という慈悲深さでしょうか。

狩人は王妃の命令通り白雪姫を城から離れた花畑へ連れて行き、遊ばせていました。そして周りに誰もいないことを確認し、彼女の背後から刃物を突き刺そうとしました。白雪姫は狩人の影にいち早く気付きましたが、足下がすくみ逃げることができません。しかし、狩人は彼女を殺すことはできないと思い直し、彼女に王妃の企みを話し、遠くへ逃げるように指示しました。白雪姫を殺した暁には彼女の心臓を持ち帰れと命じられていた狩人は手ぶらで帰ることはできません。狩人は苦肉の策として豚の心臓を持ち帰ることに決めました。

王妃は彼の仕事ぶりに満足しました。しかし、彼女は真実を答える魔法の鏡を持っていました。狩人がその存在を知っていたかどうかは分かりませんが、彼女は鏡から狩人が持ち帰った心臓が豚のものであることを知ってしまったのです。信頼していた部下に裏切られた彼女の怒りっぷりは想像に難くありません。

その後の狩人がどんな末路を辿ったのかは明かされていません。そもそも白雪姫の物語ですから、狩人のパーソナリティを深く追求するものでもありません。果たして彼は殺しを命じられた時どんな心境だったのでしょうか。

まず、殺しは断れなかったのか。王妃の残虐さや魔法を使うという事実が公然である以上、断ったら自分が消されるという恐怖があったことでしょう。これは難しそうです。

では白雪姫を逃がした後、自分も雲隠れするというのはどうでしょう。狩人の腕があれば自給自足で暮らせないこともないでしょう。行き先さえバレなければ王妃と縁を切って安全に暮らすことができます。

おっと、コイツがいましたね。

計画的にやるのであれば、まずは鏡の間に忍び込んで魔法の鏡を処分してやる必要があります。でも狩人にはその準備をする時間がありませんでした。または白雪姫を刺そうとする直前まで本当にやる気だったのかもしれません。

であれば、豚の心臓を持ち帰った後にその真実がバレないようにやはり魔法の鏡を処分する必要がありました。しかし、王妃はその晩のうちに魔法の鏡で白雪姫の安否確認をしてしまったのです。でも普通、魔法の鏡を持っていたらすぐにしますよね。

さて、この王妃が魔女であることは七人のこびとにすら知られていましたが、魔法の鏡の存在までは言及されていませんでした。もしかすると狩人が魔法の鏡の存在を知らなかったのかもしれません。知らなかったのであれば詰み、知っていたのであれば豚の心臓の真実を知られる前にどうしても鏡を始末する必要があったのです。しかし、そのようなチャンスはどう考えてもありません。心臓を届けたその足で安否確認をされては負けですからね。となると、狩人は魔法の鏡の安否確認を想定していなかったのではないかと考えられます。

魔法の鏡の存在を想定していないのであれば、狩人は逃げ隠れする気も毛頭なく、白雪姫を逃がして王妃を騙し人生を全うする予定だったのでしょう。自分の地位を守りつつ、上司に背いてまでも自分なりの正義を貫く。白雪姫をハッピーエンドに導いた陰の立役者である彼の物語は想像以上に壮大なものだったのかもしれません。



知らんけども。


たとえ命の恩人でも、ついさっきまで殺そうとしていた相手の裾で涙を拭くのはやめていただきたい。ちょっと気持ち悪いね。



最後に真面目な話をひとつ。当初の構想では狩人はもっと残酷なキャラクターである意味ヤベェ奴になる予定だったそうです。しかし、白雪姫がそんなヤバい狩人の魔の手をどのように逃れたのかというシチュエーションを考えるにあたり複雑なドラマが必要になってしまうため、アニメーターの負担軽減のためにも現在の狩人のキャラクターになったようです。彼にとっては良い変化になったのかもしれません。



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第1回『白雪姫』~白雪姫の物語

ただいま戻りました!
一年半ぶりの別館更新となる今回はですね、映画紹介記事第1回ということで、映画界に燦然と輝く長編アニメーションの金字塔『白雪姫』をご紹介したいと思います。よろしくどうぞ!

今回は『白雪姫』を見たことがないという方に興味を持っていただけたらと思いまして、簡単なあらすじをご紹介したいと思います。

主人公は世界一の美しさを持つプリンセス「白雪姫」です。白雪姫の美しさを妬む意地悪な王妃は、魔法の鏡の修理で大忙しでした。

魔法の鏡から白雪姫のほうが美しいという真実を突きつけられ、王妃は狩人に白雪姫の殺害を命じました。しかし、狩人は愛らしい白雪姫を殺すことができず彼女を森の奥へと逃がしました。そして、森の奥へと逃げ込んだ白雪姫は……

のんきにちょうちょと遊んでました。

しばらく行くと、可愛らしい小さなコテージを見つけました。キッチンにたどり着いた白雪姫は…

動物たちが投げてくる皿をキャッチしていました。

よいしょっと。

しばらくすると、コテージの家主である七人のこびとたちが帰ってきました。彼らは類稀なる音楽スキルを有していました。しかし白雪姫はこびとたちが留守の間に、あろうことか見知らぬ老婆に渡された毒リンゴを食べて倒れてしまったのです。

その様子を見ていたシカがこびとたちに姫の窮地を知らせるべく走っていました。

姫のピンチを知ったこびとは、ダイヤモンド掘りをやめて自宅へ戻ることにしました。そこへ怪しいハゲワシが近づいてきたので、とりあえずダイヤモンドで太陽光を反射させて倒しました。

これだけキラキラのダイヤモンドならきっと高値がつくはず。こびとたちは果たしてお金持ちになれるのでしょうか。七人のこびとの大冒険が今、幕を開けます。



★★★★



さて、今日お話しできるのはここまで。『白雪姫』はVHSやレーザーディスクで視聴することができます。興味を持った方はぜひ視聴してみてくださいね!

白雪姫の物語はどこへ行ったのかしら。


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第1回『白雪姫』~魔法の鏡の残酷な側面

『白雪姫』に登場する魔法の鏡。貴方は欲しいですか?

映画に登場する注目アイテムにスポットを当てる本企画。一年半ぶりの別館更新となる今回は第1回ということで映画界に燦然と輝く長編アニメーションの金字塔『白雪姫』より魔法の鏡をご紹介したいと思います。

魔法の鏡は真実を映し伝える忠実な存在であり、本作のヴィラン(悪役)である王妃が所有者となっています。魔法の鏡自体に悪意はありませんが、所有者の王妃に忠実であることや、その不気味さからしばしばヴィランの一味として扱われる媒体もあるようです。そもそもアイテムというよりキャラクターとして捉えるのが一般的のようです。

この魔法の鏡にはとても便利な機能が付いています。便利なものと聞くと欲しくなるのが人間の常ではありますが、とんでもなく残酷な側面も持ち合わせています。それを把握した上で、あなたはこの鏡を欲しいと思うでしょうか。


さて、この魔法の鏡の基本機能ですが、通常の鏡として使用することができます。成人女性が姿見として使えることから、普段使いも問題なしです。


特殊機能1

この魔法の鏡の特殊機能を使うには、まず起動する必要があります。起動の仕方はちょっとコツが要ります。まずは自身が鏡の中に映り込み、大きく手を回してポーズを決めます。そうしたら、以下の呪文を唱えて鏡の中に閉じ込められし男を呼び出しましょう。


鏡の中に閉じ込められた男
宇宙彼方の暗闇から出ておいで
吹きすさぶ風にのって早く
さぁ 顔を見せるのです



呪文に成功すると、こちらのメニュー画面に移行します。

あとは、知りたいことを訊ねるのみ。きっと真実を以て答えてくれることでしょう。

知りたいことというのは今日のネットで調べられることだけではありません。動物の臓器を提示すれば、何の動物の臓器なのか当てることも楽勝です。でも、そんな使い道をする人はいるのだろうか。

こちらのナイトクラブでは、ロビーに魔法の鏡をかけて使用しているそうです。常時起動状態にしておけば、従業員が困った時に相談事をする上で重宝します。課金制にしてお客様に解放することでコストを回収することもできます。

特殊機能2

次は少々荒っぽい使い道ですが、利用者の方が闇の力に精通しているようでしたら、イリュージョンモードを利用することができます。

イリュージョンモードでは、対象となる人物を鏡の中に閉じ込めることができます。閉じ込められた人間は鏡の男のイリュージョンに打ち勝たないと二度と生きて戻ることはできません。こちらは重い罪に問われる可能性があるかもしれないので、使いどころはよく考えて検討しましょう。



★★★★



魔法の鏡の利用者の王妃さんは魔法の鏡の機能を使い、自分より格上の美人がいるという事実を知ってしまい、その憎悪から殺人を計画、挙げ句の果てにはその計画の最中に落雷で命を落とすという非業の死を遂げました。実はその格上というのは、彼女から見てもごく身近な人物でした。王妃が彼女の名を魔法の鏡から告げられた時の驚きの表情からも、王妃が彼女を格下と認識していたことがうかがえます。もし魔法の鏡がなければ、王妃は彼女を妬むことも身を滅ぼすこともなかったのかもしれません。そんな王妃の姿は見た者にこんな予感を与えてくれるのです。この世の中においては知りすぎることも罪である、ということを。

魔法の鏡にはその性質ゆえ残酷な側面があります。魔法の鏡には「真実を答える」という前提があります。魔法の鏡は「世界で一番美しいのは誰?」という問いに対し、「一番は白雪姫。二番は王妃。」と明確に回答しています。これは世界美しさランキングの上位二名を回答しただけでなく、「人の美しさは数値化し比較することができるものである」ということを意味しています。美しさなんて人の感性によって違うのだから人それぞれだと思いきや、その考え方自体が間違っているというのがこの世の真実なのです。人それぞれの美的感覚すらも真実ではないと突きつけてしまうこの機能、なんとも残酷だとは思いませんか。


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第1回『白雪姫』~白雪姫ができるまで

暑い日が続きますね。みなさんごきげんいかがでしょうか?
今回は今年劇場公開85周年を迎える長編アニメーション映画の原点『白雪姫』をテーマに取り上げ、一年半ぶりの更新となる別館の再出発第1回の記事といたします。

『白雪姫』はウォルト・ディズニーが初めて手掛けた長編アニメーション映画で、絶対に失敗できない状況で大成功を収めた作品となりました。今回は『白雪姫』の歴史のいくつかのポイントを紐解いてみましょう。スタジオの映画作りの考え方や成功の秘訣が見えてくるかもしれません。

ストーリーを紡ぐ

1928年にミッキーマウスを成功に導いたディズニーは配給会社から「もっとミッキーを」と要求されるようになり、『三匹の子ぶた』(1934年)でミッキー以外にもヒット作を作れることを証明しました。しかし、「もっとミッキーを」が「もっと子ぶたを」に変わっただけで、根本的には何も変わりませんでした。

1934年の春、ウォルトはスタジオを拡張するための現状打破として長編アニメ映画の計画を進めました。1934年当時、アニメーションは音楽との調和やテンポの良いギャグがちりばめられた短編が主流でした。スタジオが短編アニメを製作する裏で、ウォルトはおとぎ話を研究し、『白雪姫』のストーリーを練っていました。ある程度ストーリーの原型が固まったところでウォルトはスタッフを集めて『白雪姫』の物語を説明しました。ウォルトのストーリーテリング能力はとても秀でており、その場にいる誰もが彼の物語に引き込まれたといいます。

アニメーション

アニメーションの草創期は動物がメインだったことから、リアルな人間のキャラクターの描写は困難とされていました。シリー・シンフォニーの『春の女神』(1934年)では主人公の女神ペルセポネを描き、女性の人間キャラクターの研究を行いました。『春の女神』の時点ではアニメーターにとっては満足行くレベルではなく、その後も3年かけて白雪姫を描く技術は向上していきました。ただし、男性を描く技術は向上せず王子の出番は減らされたといいます。

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物語を伝える

長編映画ともなれば短編映画との違いがいくつかあります。例えば、80分にも亘るカラーアニメーションは観客にとっても初めての経験だったので、落ち着いた色調を使用することに決めました。当時、高予算で長編アニメを作るという「ディズニーの道楽」批判の中には、「1時間もアニメを見てたら目がおかしくなる」といったものもあったようです。

また、これまでのように映像だけでストーリーを紡ぐのにも限界があり、物語を進めるための台詞を発する声優選びを慎重に行う必要がありました。ウォルトは白雪姫に「この世のものとは思えない現実離れした声の持ち主で歌の上手い人」を選びたいとして、顔を見ないでオーディションをしたいと要望しました。『白雪姫』はミュージカル映画でもあり、白雪姫と王子にオペレッタ調の声があてがわれました。

七人のこびと

映画人気に火をつけたのが、七人のこびとの存在でした。彼らの人数や特徴を決めるにあたり、かなりの労力が割かれたようです。最終的に決定した七人のこびとの名前は先生、おこりんぼ、ごきげん、くしゃみ、てれすけ、ねぼすけ、おとぼけです。ウォルトは七人のこびとの個性を際立たせることに着目しました。そして、こびとにはそれぞれ担当のアーティストを割り振りました。

こびとは大人気を博し、本作がアカデミー特別賞を受賞した際にはこびとたちをイメージした7体の小型のオスカー像が用意されたほどでした。次回作以降の『ピノキオ』、『ファンタジア』、『バンビ』が公開された際も「すばらしい出来だが、『白雪姫』ほどではない。こびとが出ていないから」と評されるなど、こびとの影響がいかに大きかったかがうかがえます。

リアルさを描く

芸術面での水準向上の功労者としてアニメーターのアルバート・ハーターが挙げられます。ウォルトは当時30代中盤で、20代のスタッフも多かったスタジオにおいて48歳のハーターの存在は長老のような存在でした。ウォルトは彼のイラストが他のアニメーターにインスピレーションを与える可能性に目をつけ、スタジオに来てもらっては絵を描いてもらっていました。彼のイラストには戯画が多く不条理で突飛なデザインも多く含まれていました。しかし、その不思議なデザインはシリー・シンフォニーで数多くのユーモラスな作品を生み出しました。また、ハーターはこれまでの「ゴムホースのような人間」のアニメーションではなく、人体解剖学に基づいたスタイルで絵を描くことのできる人物でした。観客をひきつけて感動させたいと考えていたウォルトにとって、ハーターのスタイルは必要不可欠でした。

楽家たち

『白雪姫』の音楽を担当したのは、フランク・チャーチルポール・スミス、リー・ハーラインの3名でした。チャーチルはディズニー初の商業的大ヒット曲「狼なんか怖くない」を制作しました。スミスは短編映画や実写映画で1930年代から1960年代まで数多くのディズニー作品を手掛けました。ハーラインは後に『ピノキオ』で「星に願いを」を作曲するディズニー音楽界のレジェンドでもあります


★★★★


公開から80年以上経った今でも、古さゆえの技術不足を感じさせない完成度の高さは目を見張るものがあります。絵の美しさ、音楽の旋律、無駄の無いストーリー展開、魅力的なキャラクター。『白雪姫』を鑑賞する際には、こうした裏側にも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


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