ディズニー データベース 別館

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『魔法にかけられて2』の導入部を考える:または『1』の素晴らしさを語る

こんにちは!

15年ぶりの続編として満を持して配信スタートしました『魔法にかけられて2』、ご覧になりましたか?私も本作を待ち焦がれた前作のしがないファンの一人な訳ですが、多くの方が感じたであろう違和感を感じずにはいられませんでした。

この物語の導入部(イントロ)は正しいのか、と。

今回は『2』のイントロの違和感にスポットを当てつつ、私の大好きな『1』について好き放題語ります。今回も1億3,000万人の誰か一人にでも響くことを祈って…!

※この記事は『魔法にかけられて』『魔法にかけられて2』のネタバレを含みます。閲覧にはご注意ください。

  • 目次

魔法にかけられて

2007年公開の前作『魔法にかけられて』は実写とアニメを使いこなし、ディズニーが今まで得意としてきたプリンセス・ストーリーを掟破りなメタ的視点で描いた傑作です。

永遠に幸せに暮らすことが保証されたおとぎの国アンダレーシアで王子との結婚を夢見る次期プリンセスのジゼルが悪い女王によって永遠の幸せが存在しない場所=現代のニューヨークに追放され、放浪していたところをバツイチの弁護士ロバート・フィリップと6歳の娘モーガンに救われます。やがてジゼルを心配したエドワード王子もニューヨークにやってくるのですが、ジゼルにはロバートとニューヨークで過ごすうちにアンダレーシアでは経験したことのない感情が芽生えていたのです…。

作中にはディズニーの古典的プリンセス・ストーリーのあるあるネタが盛り込まれ、いかにも『白雪姫』や『シンデレラ』に出てきそうなミュージカル・ソングが目白押しです。一瞬登場するキャラクターの名前がディズニーの名作の声優に由来していたり、歴代プリンセス声優がちょこっと顔を出していたり何度見ても新しい発見が待っています。

マニアな視点で見る『魔法にかけられて』も大変結構なのですが、私が特に本作を推したい理由が映画としてのシナリオの良さです。

魔法にかけられて』が私の好みにストライクだったポイントというのが、「主人公の成長やテーマ性のある物語を描く上で、小道具が一貫してシナリオ面でもコメディ面でも機能している」です。何言ってるか分かりませんね。

ジゼルの成長物語

魔法にかけられて』は平たく言えばジゼルの成長物語であり、おとぎの国のご都合主義の生き方しか知らないメルヘンなジゼルが現実主義のニューヨークで人間としての成長に目覚めていく過程が描かれます。ここではメルヘンな生き様を成長前、現実主義な生き様を成長後としましょう。

この映画の公開当時のプロモーションでも分かるように、本作のキャッチーな売りは「もしもおとぎの国の住民が現代に現れたら?」というコメディ性にありました。プリンセスは疑うことを知らず、王子はテレビを魔法の鏡と勘違いし、客を乗せたバスを村人を呑み込んだ怪物と思い込む。弁護士のロバートの職場に現れては離婚裁判で争う夫婦を見て本気で泣き出す。それを見て私たちは現代とズレてる彼らの振る舞いを見て笑うのです。ロバートに「君は高いから落ちるのが癖なのか?」と皮肉られても、「えぇ、誰かが受け止めてくれるの」と皮肉が通じません。

しかし、現代の人間に触れたジゼルはメルヘンさを失い、突然の歌唱で気持ちを表すのではなく現代人らしいナチュラルな喜怒哀楽の感情表現を学びます。助けにきたエドワード王子が歌で喜びを表すのに対し、咄嗟にデュエットできなくなるのです。突然歌い出す王子を前に「えっ…」と戸惑うジゼルの表情はもはや現代人のそれであり、現代人である私たちはこちら側へ寄ってきたジゼルに感情移入してしまいます。

物語の前半ではミュージカル・ソングを所構わず連発していたジゼルですが、後半になると歌わなくなり、劇中で使用される歌はモーガンとショッピングを楽しむ場面のBGMとして流れる女性シンガーのポップスで、まるで現代のロマンティック・コメディのような使い方をされます。極めつけにはお互い相手がいながらもジゼルとロバートが感情を押し殺しながらダンスする場面で背景に流れるバラードの「そばにいて」。この場面で切ない涙を流すジゼルはもう現代人となったのです。まるで絵本の世界から出てきたプリンセスを見事に具現化してみせたエイミー・アダムスですが、それ以上にこの表情ができてしまう女優なのです。

ディズニー史に残る名ダンスシーン

そして何やかんやあって悪い女王に勝利したジゼルは高所から落ちそうになったロバートを助け、「高いところから落ちるのが癖なの?」と訊ね、ロバートも「君が受け止めてくれる時はね」と返します。相手の言葉を文字通り受け取っていたジゼルが過去に受けた皮肉をそっくりそのままお返しするというテクニックまで身につけてしまったのです。観客をクスッとさせる気の利いた一言を仕込む映画は数あれど、その一言で笑わせるだけでなく、メインプロットであるジゼルの成長を観客に伝えてしまう……これが『魔法にかけられて』の計算高さで凄みでもあるのです。

この「所構わず歌う」「オーバーアクトな感情表現」「皮肉が通じない純真さ」と現代人のズレを前半のコメディの笑いの軸(小道具)としていたのに対し、後半にはそのズレの補正を主人公の成長(メインシナリオ)として回収するシナリオの巧みさこそが、本作が私を惹きつける理由となっています。

斜に構えた見方をすれば、堅物なロバートにはナンシーという恋人がいたのでジゼル視点だと略奪愛になるわけですが、ナンシーは現代的な女性でありながら鳩に花を届けてもらうようなメルヘンな世界観への憧れを持っており、最終的にエドワード王子と結ばれます。先ほどジゼルの成長描写についてメルヘン=成長前、現実主義=成長後と端的に申しましたが、現代を生きるかっこいい女性であるナンシーにもメルヘンに憧れる無邪気さを認めることで、決してメルヘン=未熟ではないという優しいメッセージも感じられます。そんな彼女は王子と結ばれ、ジゼルはロバートと結ばれる。それぞれが落ち着くところに収まったところに後味の悪さを感じさせないのがまた上手いなぁと思ってしまいますね。


魔法にかけられて2

以上を踏まえて、『魔法にかけられて2』を振り返ってみましょう。

ジゼルはニューヨークの喧噪を離れて家族で郊外に引っ越しますが、義娘のモーガンとは心のすれ違いを起こします。彼女を人気者にしようと学校で余計かつメルヘンな広報活動をしてさらにモーガンに煙たがられます。人生が思い通りにいかず、現代がおとぎ話の世界なら良いのにと願った彼女は魔法の杖で世界を変えてしまいます…。

魔法にかけられて2』の原題は『Disenchanted』。前作で「もしおとぎ話の住民が現代に現れたら」をやったので、本作は「もし現代がおとぎ話の世界だったら」をやったわけです。で、「おとぎの世界だったらジゼルは継母だから意地悪な心が芽生えてしまう」というおとぎ話あるあるを活用したストーリーが展開されます。

前作はジゼルの成長が軸でしたが、今回のクライマックスは娘のモーガンが悪の心に囚われたジゼルを家族の思い出で目覚めさせる冒険譚となっており、この義理の母娘がどんな10年間を過ごしてきたか知らない私たちの中にはちょっと蚊帳の外みたいな場違い感を覚えてしまった方もいるのではないでしょうか。

また、「もしもいつもの世界がパラレルワールドになってしまったら」という物語はいつもの世界に見慣れているから成立するのであって、TVシリーズの1エピソードとしては有効なのですが、長編映画の2でそれをやるのはなかなか勇気がいると思うのです。「楽しみにしていた学校の同窓会に来てみたら、間違えて知らない学校の同窓会に来てしまった…。でもみんな楽しそうで盛り上がってるからいっか。」みたいな感じが『2』の第一印象でした。

さて、今回『1』の素晴らしさを踏まえて振り返りたいのは導入の部分なのです。

『1』の短期間でジゼルは現代人となりました。日常で急に歌い出したり、オーバーアクトしたりしませんし、行間も読めるし皮肉も分かります。しかもその後ニューヨークで10年も生活しています。

しかし、『2』では舞台さながらに歌い踊り、モーガンの皮肉が理解できず、学校で空気の読めない行動を連発します。『1』で私たちが成長を見届けたジゼルの姿はそこにはありませんでした。


作品ごとに成長をリセットされるどこぞの勇者を彷彿とさせる

ぼくのかんがえた理想の『2』の導入

「じゃあどんなストーリーなら良かったんだ」「さぞかし素晴らしい案を持っているんだろう」と言われてしまいそうですが、何も高望みしたいのではなく。「もし現代がおとぎ話の世界だったら」がメインプロットなのならば、ジゼルの現実世界からおとぎ話の世界への逃避に至る経緯が『1』と陸続きであればそれだけで良いのです。

現代のニューヨークで10年間も暮らしていれば、最初は苦労はあれどもう立派に現代に馴染んでいると思うのです。現代人のように仕事をし、楽しみも悩みも経験して生きている。そんな彼女がおとぎの世界を求める理由はおとぎの国出身のジゼル特有のものではなく、現代人に起こりうるものとするべきだったはずです。たとえば「メルヘンすぎて義娘に恥ずかしがられてるから」ではなく、「現代人のストレスを抱えて義娘に当たってしまい、『本当のママじゃないくせに!』と反発されてショックを受ける」ぐらいのほうが自然だったのではないでしょうか。そもそも前作のナリッサ女王はジゼルを不幸せな世界に追放するために現代のニューヨークを選んだのですから、女王の「ほれ見たことか」とほくそ笑む表情が浮かべばジゼルの「おとぎの世界に戻りたい」という渇望にも繋がると思うのです。その場面でついでにスーザン・サランドンカメオ出演もお願いします。

ちょっと導入では腑に落ちなかった『魔法にかけられて2』ですが、前作にはなかった実写で描かれるおとぎの世界や、キャッチーな新曲、そして前作からの続投組や新規の豪華キャスト陣など見どころ十分です。日本語吹替版も気合たっぷりに作られていることがひしひしと伝わってきます。そんなジゼルの新たな物語、ぜひ一度は見届けてみてはいかがでしょうか。