※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。
しばらくするとIFAから電報が届き、フクロウさんを他の動物のところへと受け渡すことになった。
私はフクロウさんにかけられた言葉が気になっていたが、あれ以来大きな動きはなかったので、とりあえず彼には帰ってもらうことにした。
1940年は二本の大作映画が封切られた。
2月に公開された『ピノキオ』は、大ヒット作『白雪姫』に続く長編アニメーション第2弾として、芸術性の高さや最新の特殊効果、ジミニー・クリケットの歌う『星に願いを』などを宣伝し、熱心に売り込みを行った。
私も無意識にウォルトを応援していたのか、自然とほかのイマジナリー・フレンドに会う際には『ピノキオ』がいかに素晴らしいかを力説していた。
『ピノキオ』は確かに最高傑作の域に達していたが、『白雪姫』の二倍もの制作費を使い果たしており、赤字となってしまった。
新スタジオの建設や新作の資金調達など金銭面は苦しくなったが、4月にはバーバンクへの引っ越しが完了した。
11月には『ファンタジア』が公開された。
『ファンタジア』といえば、ストコフスキーとレストランでばったり出会ったことをきっかけに動き出したプロジェクトで、クラシック音楽にアニメーターたちが想像した世界の映像をつけ、それぞれの分野の専門家にも協力してもらった現代の芸術家たちの挑戦の映画であった。
楽曲の中にはシューベルトの『アヴェ・マリア』も含まれていた。
スタッフの中には「こういう曲を漫画にするべきじゃないと思う」と言う者もいたが、ウォルトは「これはただの漫画じゃないんだよ。その先に行かなきゃ。」と答えたことからも、この映画への強い思い入れが見受けられた。
いくつかのクラシック音楽を複数上映するオムニバス形式であったことから、数曲を入れ替えて再上映をし続ける演奏会方式を考案していたのだが、この案は音響にも及んでおり、コンサートホールのような本格的な音楽を楽しんでもらうために最新技術の立体音響ファンタサウンドを採用した。
ディズニーはこのファンタサウンドを劇場に売り込み、操作スタッフはディズニー側で雇って訓練して派遣した。
ファンタサウンドの導入には約3万ドルもかかることから、『ファンタジア』一本のためにこのシステムを設備導入してくれる劇場は少なく、本作の経済的損失は『ピノキオ』の比ではなかった。
IFAの仲間たちは『ファンタジア』を絶賛してくれた。
仲の良い動物たちはもちろん、顔見知り程度の動物たちも「見たよ」と声をかけてくれた。
彼らは小型化した姿で劇場に忍び込んで映画を見ているので、尤も売り上げには誰ひとりとして貢献していないのだが。
哲学者か何かのイマジナリー・フレンドからは「あの抽象的な表現にはどのような意図があるんだ」と熱心に訊かれたが、質問の意味がよく分からなかったので「今度ウォルトに訊いておくよ」とごまかした。
世界は昨年の英独戦争から始まる世界大戦に戦争に突入しており、ヨーロッパのチケットの売れ行きは振るわず、海外からの興行収入は6割程度に落ち込んだ。
配給会社のRKOもさすがにこれ以上の赤字は出せないから、とディズニーに西部劇と同時上映する用に短くカットするようにと申し入れた。
完璧主義者のウォルトもさすがにこの案を受け入れざるを得ないぐらいの損失を生み出していた。
ディズニーが次に控えていた長編映画の『バンビ』も、『ピノキオ』や『ファンタジア』と同様、芸術性を追求した高コストの作品であった。
この時、ウォルトはケイ・ケイメンから象を主人公にしたパノラマ絵本を教えてもらって企画していた短編映画『ダンボ』を長編映画に昇格することを考えていた。
ジョー・グラントとディック・ヒューマーは『ダンボ』のストーリーを考え抜き、キャラクターの動物も原作から変更し、ウォルトに1章ずつ渡して焦らしながらプレゼンテーションをした。
ウォルトは脚本を気に入って長編映画化を即決し、スタジオは『ダンボ』と『バンビ』の二本体制で動き始めた。
高コストの作品を連発していたため、最後の砦である『ダンボ』が失敗したら後がないという状況だったため、ウォルトは『ダンボ』を低コストに抑えるため、その重要な役職をベン・シャープスティーンに任せた。
考え込まれた脚本のおかげでストーリーボードも無駄なく作られ、アニメーション制作の段階でカットとなるシーンは『白雪姫』と違って、ほとんどなかった。
『ダンボ』は予算削減のための新たなテクニックをも生み出した。
芸術性の『バンビ』に対して『ダンボ』はポップで可愛らしい作風にしてスケッチ段階の背景画をコピーしたものを実際の背景として使ったり、『ピノキオ』や『バンビ』と比べて特殊効果を減らして見栄えのある映像に仕上げた。
『ダンボ』は短編を主にした古株のスタッフが担当しており、彼はディズニーの社内研修を受けて洗練した絵を描くと言うよりは、ニューヨークなどで自分のスタイルを試行錯誤してきた経験豊富なメンバーが揃っていた。
『ダンボ』でもウォルトは物語の進行に歌を使うことを決めており、オリバー・ウォレス、フランク・チャーチル、ネッド・ワシントンが楽曲に参加した。
ワシントンの言葉選びは非常に愉快で、カラスたちの歌にその面白さが表れていた。
<つづく>
登場人物
◆マウス
物語の語り手。
ウォルトとだけ話すことができるネズミのイマジナリー・フレンド。
◆ウォルト・ディズニー
マウスのオーナーで、彼と話せる。
ミッキーマウスの生みの親で、アニメーションに革命を起こす。
◆フクロウさん
IFAで長年預かられている身元不明のフクロウ。
常に眠っており、ほとんど目を覚ますことはない。
◆ジョー・グラント
ディズニーのアニメーター。
キャラクターデザインやストーリーを手掛ける。
◆ディック・ヒューマー
ディズニーのアニメーター。
ストーリー・ディレクターを手掛ける。
◆ベン・シャープスティーン
ディズニーのベテラン監督。
『ピノキオ』や『ダンボ』を手掛ける。
◆オリバー・ウォレス
イギリス出身の音楽家。
ディズニーを中心に活動している。
◆フランク・チャーチル
ディズニーの音楽家。
『三匹の子ぶた』や『白雪姫』でヒット作を生み出す。
◆ネッド・ワシントン
アメリカ出身の作詞家。
『星に願いを』が好評を博した。
史実への招待
ディズニーのアイデアマン、ジョー・グラントとともに『ダンボ』のストーリーをウォルトにプレゼンしたディック・ヒューマーはディズニーのなんでも屋と称される人物でした。
ディックはラウル・バールやマックス・フライシャーを経て、ディズニーの因縁の相手でもあるチャールズ・ミンツのスタジオにも勤務していました。
1933年にディズニーに移籍した後は、シリー・シンフォニーの『うさぎとかめ』『アリとキリギリス』や、『ミッキーのライバル大騒動』『ミッキーのお化け退治』といった後世に残る名作に携わりました。
アニメーターの他にもストーリー・ディレクターとしての顔も持ち、『ダンボ』以降の長編映画にも多く貢献しました。
『ファンタジア』にもストーリー面で貢献しており、ウォルトがクラシックの音楽家に触れるきっかけを与えた人物だったのではないか、とウォード・キンボールは証言していました。
一時的にディズニーを離れていた期間もありますが、後年にはディズニー映画をモチーフにした新聞の連載た、ディズニーのテレビ番組などでも活躍しました。