ディズニー データベース 別館

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【連載】幻のねずみ #43『過去の思い出と未来への挑戦』

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※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。


1955年7月13日、ウォルトはフロンティアランドのアメリカ河を航行する蒸気船マークトウェイン号の処女航海にウォルト夫婦と親しい300名を招待した。

このイベントはウォルトとリリーの結婚30周年を記念したもので、マークトウェイン号のデッキでウォルトは招待客に挨拶をしながらご自慢のディズニーランドについて説明していた。

マークトウェイン号がトム・ソーヤ島を通り過ぎ、やがて桟橋に到着すると、ゲストたちはゴールデンホースシューの晩餐へと移動した。

私はアラスカの旅の時にお世話になったネズミのアドベンチャー夫妻を案内していた。

ミセス・アドベンチャーは「マウスさん、マークトウェイン号の航海は素晴らしかったですわ。今度はぜひアドベンチャーランドのジャングルの奥地も冒険してみたわね」と大満足だった。

ミスター・アドベンチャーは「ピーター・パンのアトラクションは、あの…空を飛ぶのかい…?」と相変わらず空路に怯えている様子だった。

しかし、私は臆病な彼が持つ本当の勇気をよく心得ていた。



ゴールデンホースシューでの晩餐が終わると、ダイアンは夢心地の父を後部座席に乗せて家へと車を走らせた。

彼女が気付いた頃にはウォルトは丸めた地図を抱えて子供のようにすやすやと寝息を立てていたという。



その後も開園に向けた作業は急ピッチで進められ、その最中には配管工のストライキも発生した。

最終的にストライキが解除されたのは開園前日だった。

残りわずかな時間の中で作るべきが、水飲み場かトイレかをウォルトは選ばされた。

ウォルトはトイレを選ばざるを得なかった。

開園当日のセレモニーは生中継されることが決まっており、開園の準備に追われる作業スタッフの傍らでABCのスタッフも29台のカメラを用いて中継のリハーサルをしていた。



7月17日。

ディズニーランドの開園当日を迎えたアナハイムは猛暑であった。

ABCの開園特番の案内役はアート・リンクレターが担当することになり、俳優のロナルド・レーガンも追加レポーターとして参加が決定した。

ウォルトは開園のスピーチを担当した。



「To all who come to this happy place; welcome. Disneyland is your land. Here age relives fond memories of the past…and here youth may savor the challenge and promise of the future. Disneyland is dedicated to the ideals, the dreams and the hard facts that have created America…with the hope that it will be a source of joy and inspiration to all the world.」



開園当日はスタジオの従業員やスポンサー役員、報道関係者など約1万名のみを招待したプレビューの予定だったが、正規の2倍の量の偽造入園チケットが出回り、想定の3倍もの来場客が押し寄せ、ブラック・サンデーと呼ばれる大混乱となった。

ファンタジーランドの大部分は突然のガス漏れによって閉鎖となり、『トード氏のワイルドライド』も送電線に負荷がかかりすぎて立ち往生することになった。

アトラクションの制作を担当していたイマジニアたちも総動員で『マッド・ティーパーティー』のヒビ割れの修理などに駆り出された。

猛暑によってアスファルトが溶け出し、ハイヒールの女性は足下をすくわれた。

また、先日あれほど雄大な姿を見せていたマークトウェイン号も大量の人を乗せたことであと少しで沈むところまでになっていた。

マスコミの記者たちは明日の記事に使えそうなトラブルに目を光らせていたが、ウォルトは中継のテレビカメラへの対応で忙しく、マスコミの否定的な報道については翌日になるまで一切感知していなかった。

配管工のストライキを知らず、水飲み場が少ないことに不満を持ったマスコミは、ディズニーがコーラを買わせるためにわざと水飲み場を少なくしていると書き立てた。

ウォルトは翌日の一般公開以降も、パークをせわしなく歩き回り、キャストにゴミ拾いや食事提供の指導をしていた。

「いつも地面を綺麗にしておけば誰もゴミを捨てない。もし万が一誰かが捨てたとしても、すぐにキャストが拾って綺麗にすればみんなも捨てなくなるよ」

ウォルトは自分が思い描いていた沢山の人々が笑顔で楽しむテーマパークの実現を心から喜んだ。



ある日の夕方、私はアメリカ河を下っていくマークトウェイン号をじっと眺めるウォルトの姿を見つけた。

私は彼の隣にちょこんと座った。

彼は私に気付くと、私を手のひらに乗せて自分の右肩に乗せた。

二人は何も言わず、マークトウェイン号が白い煙を上げながら汽笛を鳴らすのをぼんやりと見ていた。




<つづく>


登場人物

◆マウス
物語の語り手。
ウォルトとだけ話すことができるネズミのイマジナリー・フレンド。

ウォルト・ディズニー
マウスのオーナーで、彼と話せる。
ミッキーマウスの生みの親で、アニメーションに革命を起こす。

リリアン・ディズニー
ウォルト・ディズニーの妻。
ミッキーマウスの名付け親でもある。

◆ミセス・アドベンチャー
ミロット夫人のイマジナリー・フレンド。
冒険好きで勇敢なネズミ。

◆ミスター・アドベンチャー
ミロット氏のイマジナリー・フレンド。
普段はおどおどしているが、やる時は誰よりもやるネズミ。

◆アート・リンクレタ
ディズニーランドの開園セレモニーのレポーター。
人気のラジオパーソナリティ

ロナルド・レーガン
ディズニーランドの開園セレモニーのレポーター。
ワーナーの作品で人気を博した俳優。

史実への招待

1835年、ハレー彗星が観測されました。

その年にサミュエル・ラングホーン・クレメンズはミズーリ州に生まれました。

彼は若い頃に蒸気船の水先人として乗務していました。

大人になり、子供時代に過ごした土地を舞台に『トム・ソーヤーの冒険』を書き上げました。

その時に使った彼のペンネームであるマーク・トウェインは、蒸気船が安全に航行できる水深約3.6mを表す言葉に由来しています。

彼は他にも『ハックルベリー・フィンの冒険』『王子と乞食』『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』といった、ディズニーで映像化される作品を多く執筆しました。

彼はかねてから「ハレー彗星とともに生まれ、ハレー彗星とともに死んでいくだろう」と話しており、次にハレー彗星が観測された1910年に死去しました。

彼の名前はディズニーランドのミシシッピ川を航行する蒸気船にその名を残しています。