※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。
1954年10月27日、ディズニーランドの宣伝と資金集めのために企画されたテレビ番組『ディズニーランド』は放送を開始した。
司会はウォルト自らが担当し、建設中のディズニーランドの様子や放送するアニメーションの紹介を担当した。
毎回バラバラの放送内容について、ウォルトが番組の顔として出演することで、ある程度の一貫性が保たれることとなった。
第一回はディズニーランドのメイキングを放送し、この夢があふれる国に多くの視聴者が期待に胸を膨らませた。
テレビの番組では建設中の4つのエリアから1つを取り上げて説明していた。
番組初期で子供たちを夢中にさせたのは、開拓者たちの活躍を描いた西部劇の『デイビー・クロケット』の物語であった。
デイビー・クロケットはジャクソン将軍とともにインディアン討伐に向かいつつ、彼らとの平和条約を結んだり、私欲のために政治を利用しようとする政治家に立ち向かうなど、強いだけでなく魅力的な主人公として描かれた。
デイビーには屈強ながらも素朴な持ち味があり、かっこいいアメリカ人男性の理想の姿でもあった。
デイビー・クロケットの番組は1954年12月から3回に分けて放送され、最終回の視聴率は25%をマークした。
「3歳で熊退治をした」という伝説をもとに作ったテーマソングは人気を博し、彼が好んでかぶっていたアライグマの毛皮の帽子はクロケット帽と呼ばれて大ヒットした。
デイビー・クロケットの関連グッズの売り上げは3億ドルにも登った。
デイビー・クロケットの人気は高かったが、第3話でアラモの戦いを描き、デイビーが戦死してしまったため、ウォルトはこの決断はいささか早すぎたと後悔した。
結局、シリーズは後にサイドストーリーとして第4話と第5話を追加で放送することができたが、それ以外はテレビドラマを再構成して劇場公開するぐらいしか映像面での展開はできなかった。
当時のテレビはモノクロ放送しかなかったので、モノクロで番組制作するのが主流では合ったが、ウォルトは自己資材を打ってでも、番組をカラー制作するべきだと考えていた。
カラーテレビの実現はまだまだ先のこととはなるが、翌年に『デイビー・クロケット 鹿皮服の男』を劇場公開する際にはカラー制作したことが早速功を奏することとなった。
1954年の年末にはビッグタイトルがもう一つ控えていた。
ジュール・ヴェルヌのSF小説を映像化した冒険映画『海底2万マイル』であった。
これはディズニーがアメリカで初めて作った長編アクション実写映画であり、スタジオにとっても今後の方向性を左右する重要な作品でもあった。
キャストにはカーク・ダグラスやジェームズ・メイスンなど当時の名優ばかりを起用し、監督にはウォルトのかつてのライバルであるマックス・フライッシャーの息子リチャードを起用するなど、柔軟な才能の採用を心がけていた。
『海底2万マイル』は物語面でも美術面でも文句なしの高評価を得ることができた。
番組の中では制作風景を紹介して放送した。
映画業界では裏側をここまで見せるのはやりすぎだという意見もあったが、この回は大きな反響を呼び、エミー賞を受賞した。
『ディズニーランド』はこうしてABCを代表する大ヒット番組となった。
1955年になると、ディズニーはアニメーション映画『わんわん物語』を公開した。
主人公のコッカースパニエルのレディが家にやってくる場面においては、ウォルトがリリーに子犬をプレゼントした時のエピソードが織り交ぜられ、私はウォルトと出会ってからの長い歴史を懐かしく感じることもあった。
1955年の夏はとにかく暑かった。
7月17日の開園を目前にしても、夢と魔法の王国は作りかけで、ウォルトが幼少期を過ごしたメインストリートの看板には文字が取り付けられているものもあれば、無言のものもあった。
中央ハブの奥にそびえるファンタジーランドの25mのお城もまだまだ未完成。
アトラクションの約半数はまだ未実装で、トゥモローランドに至っては公開できるかどうかも微妙であった。
遅れの理由は無茶なスケジュールとウォルトの完璧主義による注文が主だったが、他にも問題はあった。
ダック「マウス。またディズニーランドの作業が遅れているようですよ」
マウス「今度はなんだい。機材が壊れたのかい?」
ダック「アスファルトの業者がストライキを始めたんですって」
マウス「ス、ストライキ…?!またかい…!」
そのアスファルト業者のストライキは数日続いたが、これ以上続けると他の業者に仕事を取られるというタイミングまで来るとスッと仕事へ戻っていった。
ディズニーランドの開園準備はまだまだ続きそうだ。
<つづく>
登場人物
◆マウス
物語の語り手。
ウォルトとだけ話すことができるネズミのイマジナリー・フレンド。
◆ウォルト・ディズニー
マウスのオーナーで、彼と話せる。
ミッキーマウスの生みの親で、アニメーションに革命を起こす。
◆ダック
マウスの友人である礼儀正しいアヒル。
クラレンス・ナッシュのイマジナリー・フレンド。
◆リリアン・ディズニー
ウォルト・ディズニーの妻。
ミッキーマウスの名付け親でもある。
史実への招待
ディズニーといえばアニメ産業のイメージが強いですが、ディズニー・チャンネルやDisney+などで様々なドラマシリーズも展開しています。
さらに遡ると、ディズニー最初のテレビ番組『ディズニーランド』では様々なドラマが放送されていました。
その中で大きなヒットとなったのが、西部開拓時代を舞台にした英雄の物語デイビー・クロケットのシリーズです。
このシリーズはわずか1年間で5話放送されたのみですが、大人気を博し、グッズは売れに売れました。
第1話では先住民のクリーク族との戦いで友人のラッセルを捕らえられてしまいます。
デイビーは酋長のレッドスティックと一対一で戦い彼を追いつめますが、とどめを刺すことなく休戦協定を持ち出したのです。
デイビー・クロケットの英雄らしい一面が感じられる場面となっています。
彼はアメリカの英雄として語り継がれ、ディズニーランドでも彼の名前やテーマソングが今も流れています。