【連載】幻のねずみ #45『ウォルト・ディズニーの約束』
※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。
1959年、ウォルトがテレビ、テーマパーク、万国博覧会と手広くこなしている間に映画の関心はほぼ一本に絞られていた。
20年前から原作者に何度交渉しても落とし所が見つからず、保留となっていた『メリー・ポピンズ』の映画化であった。
当時、幼かった娘たちは父親に映画化をねだり、ウォルトもぜひそうしたいと願っていたが、原作者のP・L・トラヴァースはなかなか首を縦に振らなかった。
久々に彼がトラヴァースに連絡を取ると、彼女は具体的なギャラを提示し、さらには脚本を検閲する権利は絶対条件として譲らなかった。
トラヴァースの『メリー・ポピンズ』への思い入れはとても強く、いわゆるディズニーらしいミュージカルやアニメーションといった軽薄な作風にはさせたくないと考えていた。
一方、ウォルトは『南部の唄』を見て、『メリー・ポピンズ』にアニメーションを入れようと考えるが、トラヴァースは依然として実写でなければ映画化を認めようとはしなかった。
1961年、ウォルトは代理人を通じてトラヴァースに連絡を取り、ようやく彼女にスタジオに来てもらう機会を得ることができた。
ウォルトは脚本家のドン・ダグラディと音楽のシャーマン兄弟に彼女の出迎えへと行かせた。
しばらくするとトラヴァースはウォルトのもとを訪れた。
ウォルト「ようこそ、パメラ。」
トラヴァース「どうも、ディズニーさん。」
トラヴァースはよそよそしくウォルトに挨拶すると、さっそくダグラディらとの脚本会議へと向かっていった。
さて、『メリー・ポピンズ』の物語はロンドンのチェリー通りに暮らすバンクス一家が中心となっている。
厳しい銀行家の父に活発な母、そしてジェーンとマイケルの姉弟は家政婦や乳母とともに暮らしているが、いたずらっ子の姉弟に手を焼いて家政婦は次々と家を出ていってしまう。
そこで姉弟は自分たちの理想の乳母の求人広告を作るが、厳しいバンクス氏は夢見心地な子供たちの希望を受け入れない。
しばらくすると、子供たちの求める完璧な乳母の条件を満たすメリー・ポピンズがバンクス一家にやってくるという物語だった。
ウォルトはこの窮屈な生活を贈る子供たちを救うためにやってくるメリー・ポピンズの話をとても気に入っていた。
脚本会議の一日目が終わり、ウォルトがダグラディから受けた報告は散々なものだった。
それからもトラヴァースはコンセプト・アートや細かな設定、台詞の一言一句にまで指摘を続けた。
そしてある日、トラヴァースはメリー・ポピンズが訪れる一家の主人であるバンクス氏のキャラクターについて問題を述べた。
一つはバンクス氏に勝手にひげを生やさないこと。
もう一つはバンクス氏の厳格なキャラクターを強調するあまり、子供たちの手紙を焼いたり非情な言動が目立ちすぎているということ。
この二点を解消しない限り、『メリー・ポピンズ』の映画化は認められないとのことだった。
ウォルトはバンクス氏のキャラクターに自分や父の姿を投影しており、それゆえひげを生やしたかった。
しかし、トラヴァースがバンクス氏を通して別の人物の姿を見ていたことに、まだウォルトたちは知る由もなかった。
シャーマン兄弟たちはバンクス氏のキャラクターを見直し、最後に子供たちの壊れた凧を直すシーンを追加し、新たな楽曲も制作した。
トラヴァースはこの変更を気に入り、いつしか彼らの実力を認めてミュージカル形式の採用を許したのだった。
しかし、彼女は依然としてアニメーションの使用を一秒たりとも許可しなかった。
実は、大道芸人のバートがメリーと子供たちを連れていく行く絵画の中の世界をアニメーションで描く計画で、時期を見てトラヴァースを説得する予定だったのだが、ひょんなことからこのことがトラヴァースに知られてしまった。
トラヴァースはウォルトに苦言を呈し、そそくさとロンドンへと帰ってしまった。
一部始終を見ていた私は呆気にとられるウォルトの元へ駆け寄った。
ウォルト「一体何がどうなってるんだか…」
マウス「気をしっかり、ウォルト。何というか、彼女は相当手強い相手みたいだ」
ウォルト「君たちみたいな喋れる動物のことを何て言ったっけ…?」
マウス「イマジナリー・フレンド?」
ウォルト「そう、それだ。イマジナリー・フレンド同士がコミュニケーションを取れるのなら、君がパメラのイマジナリー・フレンドに話をして彼女が抱えている問題を教えてくれないかな」
マウス「それはむずかしいな…」
私は彼女が来てからというもの、彼女が映画化に関してなぜここまで意地になるのかを探るべく、注意深く動向を観察していた。
私もウォルトと同じく彼女のイマジナリー・フレンドに接近するのが近道だろうと考えたが、一向に彼女のイマジナリー・フレンドの姿は見当たらなかった。
もっとも、イマジナリー・フレンドがいたらあそこまで頑固な性格にはならないと思うし、妖精の訪問を受けたところで彼女なら断っていたような気もするのだが。
私はウォルトに「世の中にはイマジナリー・フレンドがいる人間がごく一部のみ存在するが、多くの人はイマジナリー・フレンドの存在すら知らずに一生を過ごす」と伝え、「イマジナリー・フレンドのいない人間にも心の拠り所や、大きな影響を与える存在は必ずいる」と付け加えた。
そして「イマジナリー・フレンド同士での対話ができない以上、心の内の問題を解決するのは人間同士でやるしかない」とも伝えた。
ウォルトはトラヴァースが宿泊していたホテルの請求書を見るなり、新たな事実に気がついた。
P・L・トラヴァースというのはペンネームであり、彼女の本名はヘレン・ゴフだということ。
<つづく>
登場人物
◆マウス
物語の語り手。
ウォルトとだけ話すことができるネズミのイマジナリー・フレンド。
◆ウォルト・ディズニー
マウスのオーナーで、彼と話せる。
ミッキーマウスの生みの親で、アニメーションに革命を起こす。
◆ドン・ダグラディ
ディズニー・スタジオの脚本家。
『メリー・ポピンズ』の脚本会議に参加する。
◆シャーマン兄弟
ディズニー・スタジオの作曲家。
『メリー・ポピンズ』の脚本会議に参加する。
◆P・L・トラヴァース
『メリー・ポピンズ』の原作者。
ウォルトの映画化のオファーに難色を示す。
史実への招待
『メリー・ポピンズ』がおすすめされる時、一緒によく挙げられる作品があります。
2013年公開の『ウォルト・ディズニーの約束』です。
邦題からは明示されていませんが、これは『メリー・ポピンズ』製作当時、ディズニーによる映画化を渋っていた原作者P・L・トラヴァースとディズニー側の攻防を描いた作品となっています。
『メリー・ポピンズ』の製作の舞台裏として長らく語られてきたエピソードを盛り込みながら、当時の苦労がシニカルさを交えつつもユーモラスに描かれています。
アナハイムのディズニーランドやディズニースタジオのシーンでは実際の場所でロケが行われているのも見どころです。
果たしてウォルト・ディズニーの約束とは誰とのどんな約束だったのか、ぜひその目で見届けてください。