ディズニー データベース 別館

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【連載】幻のねずみ #44『永遠に完成しないパーク』

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※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。


記者たちはディズニーランドを絶賛したが、一部では批判記事もあった。

「世界や宇宙、これまでの人類の歩みが安っぽい定番商品に姿を変えて並んでいる。ここでは生き物は鮮やかに彩られ清潔で安全で無害である。」

マウス「気を落とすなよ、ウォルト。何事にもケチをつけるやつはいるよ」
ウォルト「ハッハッ。何を言ってるんだい、マウスくん。私は子供を安心して遊ばせられるパークを作りたかったんだよ。この清潔で安全で無害なんてところは最高の褒め言葉じゃないか!」

ディズニーランドはウォルトの遊び場であり、週末はリリーと園内でよく過ごした。

アトラクションにも並び、客の声に耳を傾け、使えると思った改良のアイディアは積極的にイマジニアに提案した。

ウォルトのディズニーランドへの姿勢は「ディズニーランドは永遠に完成しない」という彼の言葉を体現していた。

「映画は一度完成して配給会社の手に渡ったら、直したいところがあってももう修正は効かないだろ。例えば二人が撃ち合うシーンでどっちが先に撃ったかを変えたいとか、星の爆発シーンに衝撃波を追加したいとか、民族風のお祭りのスコアを壮大なオーケストラに変えたいと思っても、その時にはもう手遅れなんだ。」とウォルトは説明した。

私は「そんなことをこだわる人がいるのだろうか」と首を傾げた。



ディズニーランドは開園からの数年でさらなる進化を遂げた。

一般的な遊園地のようなジェットコースターの導入を良しとしないウォルトだったが、1959年の映画『山の上の第三の男』のタイアップとして、マッターホルンボブスレーで降下するライドタイプのアトラクションを導入することが決まった。

続いて、ディズニーランドの園内外にモノレールを走らせる計画も立て、開通セレモニーにはアメリカの副大統領を招くこともあった。

アドベンチャーランドには熱帯地域にいるようなカラフルな鳥を眺めながら食事するレストランの案を聞いた時には、ウォルトは「鳥のフンが食事に落ちてくるじゃないか」とこれを却下しようとしたが、「いえいえ、本物じゃなくて機械じかけの鳥ですよ」とスタッフに言われて笑ったこともあった。

ある時、ウォルトはパリから小さな鳥かごを土産に持ってきて、WEDのイマジニアに研究用に渡した。

ディズニーは機械じかけの人形に動きと音を組み合わせたオーディオアニマトロニクスという技術を開発し、この鳥のレストランで大々的に披露しようと考えていた。

これはつまり、アニメーション会社としてスタートしたディズニーにとっての立体的なアニメーションであった。

当時はアナログの磁気テープに音声を記録し、動きと上手く組み合わせていた。

鳥たちをさえずらせるシステムは熱がこもってしまうので、パークとしては珍しく冷房を導入することになった。

鳥を歌わせながら、快適な環境で食事を提供するのは難しく、最終的に鳥のレストランは『魅惑のチキルーム』という鳥たちの歌を楽しむレビューショータイプのアトラクションとなった。

鳥たちの動きにぴったりな、陽気で覚えやすいメロディを求めたウォルトはこの大役をシャーマン兄弟に任せた。

ディズニーにとって『魅惑のチキルーム』はシャーマン兄弟との出会いや、オーディオアニマトロニクスの発表の場として大きな意味を成すものとなった。



『魅惑のチキルーム』のオーディオアニマトロニクスの技術は見事なもので、ディズニーは次に新たなオーディオアニマトロニクスを開発することになった。

時は1960年、4年後のニューヨーク万国博覧会に向け、イリノイ州の依頼を受けて開発することになったオーディオアニマトロニクスは、なんとウォルトの敬愛するリンカーン大統領なのであった。

リンカーンの制作は様々なトラブルにも見舞われたが完成品は見事なもので、モノクロで画質の粗いテレビに映ったリンカーン人形を本物の人間の俳優だと思い込んだ視聴者も多かった。

また、WEDのさらなる技術発展のため、企業のパビリオン開発にも手を貸すことにした。

フォードには自動交通システム『ピープルムーバー』、ゼネラル・エレクトリックには人々の生活の進歩を紹介する『プログレスランド』を提供した。



テーマパークだけでなく、テレビでは等身大の子供たちが活躍するテレビ番組『ミッキーマウス・クラブ』を大ヒットさせ、ドラマでは『怪傑ゾロ』や『デイビー・クロケット』の新作が放送された。

テレビ進出の際に協力してくれたABCはディズニーの番組を打ち切るようになり、ディズニーはABCが持つディズニーランドの株を買い取って縁を切り、カラーテレビの会社を親会社に持つテレビ局NBCに新たなカラー番組を売り込んだ。

1961年はカラー番組の放映が開始し、劇場用映画でも『スイスファミリーロビンソン』『101匹わんちゃん』『うっかり博士の大発明 フラバァ』『罠にかかったパパとママ』と、次々とヒットを飛ばした。




<つづく>


登場人物

◆マウス
物語の語り手。
ウォルトとだけ話すことができるネズミのイマジナリー・フレンド。

ウォルト・ディズニー
マウスのオーナーで、彼と話せる。
ミッキーマウスの生みの親で、アニメーションに革命を起こす。

史実への招待

スイスに高くそびえるマッターホルンは難攻不落の山として知られていました。

1865年、数名の犠牲を出しながらもイギリスの登山隊が初登頂に成功しました。

そんな1865年のアルプスを舞台にした映画がディズニーの『山の上の第三の男』です。

山を舞台にした映画製作の経験はいつしかディズニーランドのアトラクションの計画へと昇華されていきました。

そうして作られた『マッターホーン・ボブスレー』では、雪山の中をボブスレーで滑走する新しいタイプのコースターとしてオープンしました。

東京ディズニーランドでもおなじみの三大マウンテンと合わせて四大マウンテンとして扱われることもあるようです。

このアトラクションに登場する雪男はパークのキャラクターとして一部でコアな人気を誇っているとか。