【連載】幻のねずみ #33『動物たちの国』
※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。
戦争が終わるとウォルトは長編映画の計画を立てようとウズウズしていた。
私は保守的なロイに賛同し、コスト面などの心配をするようになったが、何か言うたびに「君ってやつは兄さんに似てきたなぁ」とウォルトに笑われた。
当時のディズニー・スタジオは大体7年前の長編映画を再公開し売り上げを捻出するというサイクルが出来つつあった。
ウォルトが心血注いで作りあげた『白雪姫』や『ピノキオ』の評価は7年経っても色褪せることは無かったが、これらの物語の多くはヨーロッパの童話発祥のものだった。
愛国心の強いウォルトは1939年に映画化権を購入したジョエル・チャンドラー・ハリスの『リーマスじいやの物語』をアニメ化しようと考えていた。
この物語は黒人奴隷の間に伝わる寓話を集めた童話集で、頭の回転の速い小さなウサギがずる賢いキツネやクマを出し抜く痛快な物語であった。
私は「長編アニメにするにしては短すぎるんじゃないかな」とウォルトに提言した。
すると彼はキョトンとした顔で「兄さんにも昨日それを言われたんだよ」と答えた。
相変わらず銀行は融資を渋っていたため、コストの問題を解決するためにアニメーション化はうさぎどんたちの登場する全体の3分の1にとどまり、残りは実写化することになった。
この物語はウォルトの待ち焦がれたアメリカを舞台にした作品であると同時に、差別意識の色濃く残る南北戦争直後の最南部の農園のいうデリケートな時代を描いている側面もあった。
人種隔離政策を維持しようとする白人至上主義者が一定数いたこの時代、この映画を実現させるにあたっては人種問題をクリアしなければならず、ウォルトは有名なアフリカ系アメリカ人の知識人や活動家に意見を求めた。
学者はこの映画について「これは世論を変えられるかもしれない重要な映画だ」と答えた。
「ただし、元奴隷が南部の農園のすばらしさを楽しげに歌うような映画でなければの話だがね」
しかし、ウォルトは『白雪姫』で発揮した自らのストーリーテリングの腕を信じており、専門家の意見よりも直感を優先した。
結局、『南部の唄』は雇用主の白人と元奴隷の黒人が仲良さげに暮らしているファンタジックな世界観で映像化され、ディズニーの長編アニメーションでしばしば描写されるミュージカル映画らしい表現がされることとなった。
完成した『南部の唄』のプレミアは、7年前に『風と共に去りぬ』のプレミアと同じジョージア州アトランタの劇場で行われた。
プレミアには白人俳優は勢揃いしたが、ジョージア州の法律でリーマスおじさん役の主演俳優であるジェームズ・バスケットは白人専用の映画館に入れなかった。
映画は賛否両論で、美しいアニメーションや主題歌の『ジッパ・ディー・ドゥー・ダー』には賛辞の声が挙がった。
しかし、ほとんどの批評は主人と奴隷の関係があまりに愛情深く描かれている点を批判し、ウォルトはリンカーンが嫌いなのだろうかと評する者もいた。
ウォルトはこうした酷評もストライキの時のような共産主義者の陰謀だとして怒りを滲ませた。
『南部の唄』においてもストライキの時と同じく、ウォルトの映像表現について他のイマジナリー・フレンドたちから訊ねられることがあった。
私はあくまでウォルトの話し相手のネズミに過ぎないが、他のイマジナリー・フレンドたちからするとウォルト・ディズニーという男と私は同じ思想を共有している存在としてみなされることが多かった。
「マウスさん。あなたのところで作っているあの『南部の唄』っていう映画はどうも腑に落ちませんなぁ。」
「マウスさん、あなたはリンカーンの奴隷解放についてどのようにお考えなのですか?」
「あの『ジッパ・ディー・ドゥー・ダー』って曲は気に入りましたよ」
イマジナリー・フレンド自身も彼らのオーナーもルーツは人それぞれで、彼らから寄せられる『南部の唄』評も同じくそれぞれだった。
黒人の立場に寄り添う意見もあれば、純粋にエンターテイメントとして評価する声もあり、世間の声に流されるままの声の者もいた。
イマジナリー・フレンドの社会は人間社会の縮図そのものに見えることもある。
私はある日、座っていたダックに訊ねた。
マウス「ディズニー映画が公開されるたび、映画と僕の思想を同一視してくる人たちが多いんだ。イマジナリー・フレンドっていうのはオーナーの人間と常に一体になっていないといけないものなのかい?」
ダック「私はそうは思いませんね。でも考えてみれば、IFAみなさんはそういった考えをお持ちの方々が多いと思います。」
マウス「それはどうして?」
ダック「彼らは基本的にイマジナリー・フレンドはオーナーの活躍を支えるために存在していると思っています。もしオーナーが悩んでいた時には導き、彼らの活躍のために貢献しなければならないのです。だから、自分たちの助言のおかげでオーナーが成功を収めればそれは喜ばしいことです。逆に、オーナーが誤った選択をしてしまった時は、イマジナリー・フレンドもそれを正しく導けなかったということで同等の罪を背負うのです。」
ウォルトの功績は彼自身が成してきたものだし、それに対して私が称賛されることも責任を負うことも考えたことはなかったが、IFAのイマジナリー・フレンドたちは仕事な熱心な面々が揃っているようだ。
ダック「あなたはどうです?」
マウス「僕はウォルトの話し相手にはなるけど、彼に貢献しているという意識はないなぁ。だって、人間は自分が正しいと信じたことをするべきじゃないのかい?」
ダック「なるほど…」
マウス「でもかつて、トニーというカエルから僕の発言はウォルト・ディズニー・スタジオ全体の総意と解釈していいかと言われたことがある。きっと彼もそういう考え方だったのかな…」
ダックは立ち上がると振り向きざまに私に訊ねた。
「もし、この世の中にイマジナリー・フレンドが一体もいなかったら世界はどうなっていると思います?世界はもっと良くなるか、それとも悪くなっているか、はたまたほとんど変わらないか。私は時々考えることがあります。でも、他のイマジナリー・フレンドのみなさんはきっとそんなことを考えたことはないと思います。」
<つづく>
登場人物
◆マウス
物語の語り手。
ウォルトとだけ話すことができるネズミのイマジナリー・フレンド。
◆ウォルト・ディズニー
マウスのオーナーで、彼と話せる。
ミッキーマウスの生みの親で、アニメーションに革命を起こす。
◆ロイ・ディズニー
ウォルト・ディズニーの8歳年上の兄。
独創性のある弟を財政面で支える良き理解者。
◆ジェームズ・バスケット
『南部の唄』の主演俳優。
黒人として初のアカデミー賞受賞者。
史実への招待
今年公開75周年を迎える映画『南部の唄』は、現在ディズニーの自主規制によって視聴不可の作品となっています。
映画の大半は実写で製作されており、白人の少年ジョニーと黒人の使用人リーマスおじさんの心の交流を描いた作品です。
リーマスおじさんはお話が上手で、作中の物語がアニメーションで表現されており、そのアニメ部分は『スプラッシュ・マウンテン』としてアトラクション化されています。
アトラクションだけでなく、メインテーマの『ジッパ・ディー・ドゥー・ダー』は名曲として広く知られていると思います。
現在、アナハイムとフロリダにある二つの『スプラッシュ・マウンテン』は、『プリンセスと魔法のキス』仕様のアトラクションにリニューアルされることが決まっています。
同時期、東京ディズニーランドのメインエントランスのBGMからおなじみの『ジッパ・ディー・ドゥー・ダー』が姿を消したことも大きな話題となりました。
東京ディズニーランドでの『スプラッシュ・マウンテン』の扱いがどうなるかは発表されていませんが、表現の歴史を紐解く上で重大な要素と言えるのではないでしょうか。