※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。
二人の歴史的な出会いの後、私はマット・ツーに会いに行った。
マット・ツーは「私とマウスさんが手を組んだおかげで、チャーリーとディズニーさんが円滑にビジネスを進めることができたのです。イマジナリー・フレンドの強みはこういうところにあるのです。これからもアメリカのエンターテイメントの向上のため協力していきましょう!」と祝杯を上げた。
私もにっこりと応じたが、帰り道、こんな疑問を抱いた。
「別に私とマット・ツーがいなくても、普通にウォルトとチャーリーは手を組んでいたのではないだろうか。」
私はイマジナリー・フレンドをなんとなく理解しつつも、なんとなくよくわからないという状態が続いていた。
ウォルトはアニメ業界全体の育成にも熱心で、スタジオに美術教室を招いた。
美術のプロの授業はアニメーターたちへの刺激となり、講師のドン・グラハムもアニメーターたちからお互いに学び合う関係となった。
アニメーションの動きの技術に関する授業は存在しなかったため、自分たちで考案し後進のサポートに務めるスタッフもいた。
ウォルトはさらに新たなことにも挑戦した。
シリー・シンフォニー向けに『花と木』というアニメーション映画を制作していた時のこと、ウォルトは本作をカラーで作ろうと言い出した。
これまで作られたカラー作品は赤と緑のフィルムをチカチカさせて擬似的にカラーを作り出す手法が使われていた。
この手法には三原色の赤と緑は出せても、青はきれいに出すことができないという弱点を内在していた。
ディズニー・スタジオが学んでいた技術はテクニカラーといって、赤、緑、青を鮮やかに表現するもので、超天然色と呼ばれていた。
ディズニーはテクニカラーの技術を三年間独占してアニメーションに使う契約を結び、そのこけら落としをモノクロで作りかけていた『花と木』でやろうと言い出したのであった。
カラーはモノクロの三倍の予算を要し、ウォルトの兄ロイは資金の調達に奔走することとなった。
最初、私はロイの後ろ姿を見るたびに、どうしてそこまで弟の突飛な挑戦を支えようとするのか不思議に思うことはあった。
しかし、今ではその思考もすっかり薄れ、ロイに少しの同情を感じ得ながらも彼を応援したいと思うようになっていた。
『花と木』のカラー映像は人間の観衆たちにも驚きを持って迎え入れられ、翌年には新設されたアカデミー短編アニメ映画賞を受賞した。
1933年12月18日には、ウォルトとリリーの間に長女ダイアンが誕生した。
ロス・フェリスの丘に建てられた住宅には、日曜日にウォルトの仕事仲間が家族連れでよく訪れた。
私がダックと出会ったのは『かしこいメンドリ』の音声収録の時だった。
この作品でデビューしたドナルドダックの声はアヒルそのもので、コンビを組んでいたピーター・ピッグはおろか、主役のメンドリをも圧倒するほど不思議な魅力のあるキャラクターとなっていた。
私は音声収録に立ち会い、アヒルそっくりの声を持つ男クラレンス・ナッシュの登場を心待ちにしていた。
そこへとても礼儀正しいアヒルが現れた。
彼の名前はダックで、ぺこりと頭を下げると、こちらを見上げて「あなたが、あのミッキーマウスのモデルとなったマウスさんですよね」と羨望の眼差しを見せた。
私はミッキーのモデルと言われると悪い気はしなかったが、そのたびに「私はたまたま近くにいただけですし、ミッキーはウォルトたちの功績ですよ」と説明することを忘れなかった。
1934年のある晩のことだった。
ウォルトは夕食後にアニメーターたちを集めると、白雪姫の物語を話し始めた。
私はアニメーターに気付かれないように、部屋の隅っこでおとなしくしていた。
「昔々、あるところに美しい姫がいた。姫といっても大人っぽすぎるわけでもなく、かといって幼すぎてもいけない。純粋で可憐な感じの娘なんだ。彼女は白雪姫と呼ばれていて、髪の色は……えーっと…まぁとにかく雪のように白い肌の持ち主なんだ。」
ウォルトはひとりひとりのキャラクターを表情豊かに演じていた。
私は彼の姿を見て、新聞配達少年だった頃にサイレント映画版の『白雪姫』を夢中になって観たと話していたことを思い出した。
アニメーターたちの集中力も凄まじく、息を呑んでウォルトの話に聞き入っていた。
最後に白雪姫が王子とともに城へと去っていくと、ウォルトの世界は幕を下ろした。
白雪姫がキスで目を覚ますシーンには、感情移入して涙を流す者もいた。
しーんとした部屋の中でウォルトは皆に語りかけた。
「これが僕たちの最初の長編映画になるんだ…!」
ウォルトが最初の長編映画の題材として『白雪姫』を選んだのは、どんな観客の心にも響かせることのできる物語の普遍性はもちろん、主人公のラブストーリーや、脇を固めるコミカルリリーフのこびとたち、そして印象的な悪女といった役者が揃っていることも原因だった。
ウォルトはその翌日から、スタジオの廊下など至るところで白雪姫の話をするようになった。
ウォルトの兄ロイはいつものように資金集めに奔走した。
長編アニメーション映画として耐えうるだけの人間のキャラクターの表現ができるのか、80分もの間観客を飽きさせないアニメーションなど実現できるのか、課題は山盛りだった。
それでも3年かけて準備した出来かけのフィルムを銀行の融資担当は認めてくれた。
1937年の初めの時点で、クリスマスまでに映画を完成させるというスケジュールは大幅に遅れていた。
それでもスタッフたちは良い作品を作るために時間と金と手間を惜しまず働いた。
映画の編集は公開のギリギリまで行われ、公開4日前にリテイクされたものまであった。
12月21日、カーセイ・サークル・シアターで『白雪姫』のプレミアは行われた。
ウォルトは上映中、ずっとそわそわしており、隣で妻に手を握ってもらっていた。
スクリーンにThe Endという文字が映し出されると、観客は皆拍手喝采だった。
私とダックとパップは、はたまたディズニーがアニメーションの歴史を塗り替えた瞬間を目の当たりにし、誇らしげに感じていた。
新聞も『白雪姫』のクオリティの高さを絶賛し、手のひらを返したように「ディズニーの道楽が歴史を作る」「漫画映画の奇跡」といった見出しでその素晴らしさを報道した。
1938年の元日には家族が勢揃いし、両親の金婚式を祝福した。
ディズニー家はダイアンに引き続き、養子として次女のシャロンを家族に迎え入れ、順風満帆な家庭となっていた。
『白雪姫』の大ヒットは興行収入以外にも様々な効果をもたらした。
ウォルトは新スタジオの設計に熱心になり、アニメーション制作のための最新鋭の設備を導入し、従業員の通勤時間を省くためのアパートも建てることにした。
次の長編映画の題材にはいくつかの候補のうち、ストーリーが固めやすかった『ピノキオ』が選ばれることになった。
私は呼び出しを受けてダックとともにIFAの事務局へと向かっていた。
事務局へ到着すると、ゴリラのコングが連れてきたのは年老いたフクロウだった。
コングに力強く揺さぶられると、フクロウは首をぐらんぐらんさせて驚いて目を覚ました。
「こちらが今日からお世話になるマウスさんとダックさん。お二人とも、ウォルト・ディズニーのアニメーション・スタジオにお住まいなんですよ」
フクロウは何十年も前からこの事務局引き取られているらしいのだが、彼がどこから来たのか誰のイマジナリー・フレンドだったのか一切覚えていないのだという。
そこで色々なイマジナリー・フレンドのもとに居候すれば、何か記憶が蘇るのではないか、という取り組みをしているのだという。
フクロウさんは一向に起きる気配がなかったが、ある日突然目を覚まし、「なぜ、お前はそこにいる?そこはお前の居場所だったか?」と鋭い言葉を発したかと思うと、いつものようにすやすやと寝息を立てて眠ってしまった。
お前の居場所…?
フクロウさんは他のイマジナリー・フレンドのもとへと移っていき、1940年は二本の大作映画が封切られた。
2月に公開された『ピノキオ』は、大ヒット作『白雪姫』に続く長編アニメーション第2弾として、芸術性の高さや最新の特殊効果、ジミニー・クリケットの歌う『星に願いを』などを宣伝し、熱心に売り込みを行った。
11月にはストコフスキーとレストランでばったり出会ったことをきっかけに動き出したプロジェクトで、クラシック音楽にアニメーターたちが想像した世界の映像をつけ、それぞれの分野の専門家にも協力してもらった現代の芸術家たちの挑戦の映画『ファンタジア』が公開された。
1941年、『ダンボ』を作っている間のスタジオは赤字のほかにも重大な問題を抱えていた。
『白雪姫』の大成功でバーバンクに建設したスタジオはたいそう立派なものではあったが、アニメーションを制作するためにすべてが合理化され、創造性が失われつつあった。
いつしか待遇の悪さを感じていたアニメーターはストライキを起こすことになり、その中には成功者であり、仕事をこなせる高給取りであったが、待遇の悪い他のスタッフへの同情心に溢れ、正義感も強かったアート・バビットもいた。
ウォルトは遂にバビットを解雇した。
すると、私とダックの親友であるパップがバビットのイマジナリー・フレンドであったことがわかり、私たちのことを離れることとなった。
ロイがストライキの収束を図る間、ウォルトは映画製作のために南米旅行をすることになった。
1942年、コバルト・ブルー・フェアリーが10年ぶりに地球を訪れることになった。
マット・ツーに呼ばれた私は、彼から衝撃の事実を聞かされた。
コバルトは地球をより良くするための実習生として派遣された妖精たちの一人であり、その活動の一環としてイマジナリー・フレンドと呼ばれる動物を地球に送り込んで人間たちの創作活動をより良いものにしようとしていた。
コバルトはイマジナリー・フレンドの第一号であるマット・ツーとともに突然変異で誕生したイマジナリー・フレンドである私を当初は排除しようとしていたのだが、ウォルトや私の働きに免じてその考えを改めたのだという。
しかし、妖精の中には突然変異をよく思わないムーアクイーンというメンバーもいた。
マット・ツーはムーアに狙われないようにウォルトの元を離れて暮らすことを提案してくれた。
私もその考えを一度は受け容れたが、ウォルトの歩みや彼が創り出してきたキャラクターたちの勇姿を思い返すと、その考えを棄却するに至った。
ウォルトと仲間たちが創ってきたディズニーの仲間たちならここで決して逃げたりはしない。
「逃げる」という選択をしてしまっては、ウォルト・ディズニーのパートナーの名が廃る。
そして、私は今も彼の映画作りを一番近くで見守っているのである。
<つづく>
登場人物
◆マウス
物語の語り手。
ウォルトとだけ話すことができるネズミのイマジナリー・フレンド。
◆ウォルト・ディズニー
マウスのオーナーで、彼と話せる。
ミッキーマウスの生みの親で、アニメーションに革命を起こす。
◆ロイ・ディズニー
ウォルト・ディズニーの8歳年上の兄。
独創性のある弟を財政面で支える良き理解者。
◆リリアン・ディズニー
ウォルト・ディズニーの妻。
ミッキーマウスの名付け親でもある。
◆ダイアン・ディズニー
ウォルトとリリアンの長女。
◆ダック
マウスの友人である礼儀正しいアヒル。
クラレンス・ナッシュのイマジナリー・フレンド。
◆パップ
マウスの友人である犬のイマジナリー・フレンド。
オーナーが明らかとなった。グーフィーのモデルとなった。
◆コング
IFAのボディガードを務めるゴリラ。オーナーはいない。
◆フクロウさん
IFAで長年預かられている身元不明のフクロウ。
常に眠っており、ほとんど目を覚ますことはない。
◆ドン・グラハム
シュイナード美芸術学校の講師。
◆クラレンス・ナッシュ
動物の声帯模写を得意とする男性。
ドナルドダックの声を演じる。
◆アート・バビット
ディズニー・スタジオのアニメーター。
グーフィーの生みの親。
◆チャールズ・チャップリン
ウォルトのあこがれの喜劇王。
マット・ツーのオーナー。
◆マット・ツー
シルクハットをかぶった紳士風の雑種犬。
マウスにイマジナリー・フレンドについて教える。
◆ムーアクイーン
コバルトの同僚の妖精。
強大な魔力を持ち、なぜかマウスを消すことに執着している。
◆コバルト・ブルー・フェアリー
マット・ツーにIFAの統括を任せている妖精。
10年に一度だけ地球を訪れる。