※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。
1965年7月17日。
私は世界中で最も幸せな遊園地にいたと思っていた。
しかしある男に近づいた瞬間、私の身体はふわっと宙に浮かび、周りの景色は一瞬で真っ黒になった。
目が覚めると、私は1928年のある列車の中で這いずり回っているネズミであることに気がついた。
そこで私はアニメーションを生業としている、ウォルト・ディズニーという青年と出会った。
彼はハリウッドから帰るところで、これまで主力としていた「しあわせウサギのオズワルド」の代わりとなる新たなキャラクターを至急考え出さなければならない状況にあった。
ウォルトは私の姿をまじまじと見てネズミのキャラクターを生み出すことに決めた。
それから私はウォルトと行動をともにし、彼が相棒のアブ・アイワークスとともにねずみのキャラクター「ミッキーマウス」を生み出す瞬間にも立ち会った。
ウォルトは昨年、大西洋単独無着陸飛行を成功させたリンドバーグの偉業に関心を持っていたことからインスピレーションを膨らませ、ミッキーの役柄はリンドバーグ気取りの飛行機乗りということになった。
アブは原画を一日700枚という驚異的なスピードで描き上げ、トレースや彩色の作業にはウォルトの妻リリーや義理の姉エドナが協力した。
ミッキーの最初の映画である『プレーン・クレイジー』は近場の映画館で小規模に公開された。
この成功に満足しないウォルトは、次の作品となる『蒸気船ウィリー』はアニメーションに音楽をつけた初のトーキー作品とする計画を立てた。
当時は既に音声を伴うアニメーションはいくつかあるにあったが、全編にわたって完全にシンクロした作品というものはなかった。
録音のやり直しにも費用がかかり、ウォルトはスタジオの財政面を担当する兄のロイに資金集めを依頼する電報を打った。
ウォルトは「必要であれば愛車を売っても構わない」と付け足すことを忘れなかった。
ウォルトは指揮者やスタッフたちと打ち合わせを重ね、あくまでもシンクロの精度にこだわった。
1928年11月18日、ミッキーの本格的なスクリーンデビューとなる『蒸気船ウィリー』は、ブロードウェイのコロニーシアターで2週間の上映が始まった。
『蒸気船ウィリー』は世間で絶賛され、ある新聞記者は椅子から転げ落ちるほどだったと評した。
それからしばらくすると、私のもとに赤い蝶ネクタイをしたカエルが訪れた。
トニー「やぁ、どうもどうも。ワタシ、カエルのトニーという者でヤンス。あなたは…?」
マウス「あ、私はマウスです。」
トニー「ウォルト・ディズニーさんのトコのマウスさんというでヤンスね。いやはや。」
トニーは私をウォルトの秘書か何かと勘違いしていたようで、手を組まないかと持ちかけていた。
状況がすっかり掴めない私が煮え切らない返事をすると、トニーは苛立ち始め、帰り支度を始めた。
ウォルトはその後、音楽担当との意見の相違がきっかけで、ミッキーとは別に音楽を主体にした新シリーズ『シリー・シンフォニー』を立ち上げることにした。
ウォルトはシリーズ開始の時をはじめ、悩みごとを話すことはあったが、こちらが相槌を打っているだけで彼は自問自答して自ら答えを導き出すことがほとんどだった。
私は天才が悩みを解決していく歴史的な瞬間に立ち会っているような気分をいつも楽しんだ。
1930年、ウォルトはトーキー映画の協力をしてくれていた音響業者のパット・パワーズがスタジオを乗っ取ろうとアブを引き抜いていたことを知る。
パワーズはウォルトにもその要求を呑むように迫ってきたが、その条件に乗ってもスタジオの儲けはほとんどないと判断したウォルトらは手切れ金を納めて、パワーズと縁を切ることにした。
ウォルトは帰宅してからも信頼していた友人の裏切りに呆然としていたが、やがて過去にオズワルドの権利を奪われた時も同様の仕打ちを受けたことを話してくれた。
私はカエルのトニーの言動を思い出し、実は彼がアブの心変わりを説得することができる唯一の存在なのではないかと希望を持った。
しかし、トニーはウォルトのアニメーターたちへの待遇を責め立てるばかりで話は一向に進まなかった。
ウォルトの力になれないとわかった私は少し落ち込んだが、しばらくして久々にウォルトと話すタイミングがあった。
ウォルト「やぁ、マウス。久しぶりだね。」
マウス「おかえり、ウォルト。えっと、あの…アブのことは…」
ウォルト「あぁ!そのことならもう気にしてないよ。」
ウォルトはニコッとしてみせると、オズワルドの21作品の権利を手放す代わりに、10万ドルの手切れ金を納めてパワーズときっかり縁を切ることにしたと話した。
パワーズはディズニーと手を組まないようにと他の配給会社に根回ししていたが、コロンビア・ピクチャーズは脅しに屈することなく手を差し伸べてくれたのだという。
ウォルトは元気そうに振る舞っていたが、それでも私はアブがあのカエルに良いように操られていることに納得がいかなかった。
ある晩、散歩を終えてスタジオに戻ろうとした私は背後に気配を感じた。
すると植木の中から黒いコートを着た小さな生き物がサッと飛びかかってきた。
黒コート「なんでお前じゃないとダメなんだよ…!」
猟犬「ワンッ!」
私はそこを通りかかった猟犬に間一髪救われ、黒コートの生き物はそそくさと逃げていった。
猟犬「大丈夫かい?」
マウス「ありがとう。助かったよ…!」
その猟犬はパップという名前で、5分ほど前から、私が黒コートの生き物に追われているのに気づき、その様子を見張ってくれていたのだという。
1932年のある日。
私のもとにパップより小さな小型の雑種犬がやってきた。
「夜分遅くにすみません。あなたがウォルト・ディズニーさんの使いのマウスさん?」
マウス「使い、ですって?」
「えぇ、イマジナリー・フレンドのことです。」
その雑種犬はマット・ツーという名前で、我々がイマジナリー・フレンドと呼ばれる存在であることを教えてくれた。
世の中には人間のように話し、人間のようなスピードで歳を取り、人間のように振る舞う特別な力を持った動物たちがごく少数存在するという。
彼らはある人間の強い想いを叶えるためにこの世に誕生し、その人間とのみ会話ができることから、その人間(オーナー)にとってのイマジナリー・フレンドという呼び方をするらしい。
イマジナリー・フレンドはその人間とコミュニケーションを取り、夢に向かって努力する姿を人知れずサポートする役割を担っている。
マット・ツーの場合は、チャールズという人間の強い想いによってこの世をさまよっていたところ妖精に姿を与えられ、彼のイマジナリー・フレンドとして彼をサポートしてきたという。
マット・ツーは私をIFAというイマジナリー・フレンド協会の事務局へと連れていった。
マット・ツーは私に会わせたい人物がいるからここで待ってほしいと言われた。
私は受付の猫と話すうち、イマジナリー・フレンドがこの世に誕生した瞬間、妖精からイマジナリー・フレンドのルールについて教わるしきたりがあることを知った。
しかし、私にはそんな説明は一切なかった。
となると、自分はイマジナリー・フレンドの中でもイレギュラーなケースなのではないかと思えてきた。
確かに、かつて私がイレギュラーなのではと不意に違和感を覚えた出来事が一度あった。
カエルのトニーに初めて会った時、彼は私をウォルトの代理人であるかのように扱ってきた。
つまり、彼は私をウォルトのイマジナリー・フレンドだと思って近づいてきたことになる。
私は彼がアブのイマジナリー・フレンドなのではないかと思い、彼のもとへと走った。
しかし、それはアブのイマジナリー・フレンドであるかのように振る舞って私を仲間に引き入れようとする彼の作戦であった。
私がIFAの事務局に戻ると、マット・ツーが呆れた顔で待っていた。
彼が会わせたかったのはイマジナリー・フレンドを統括するコバルト・ブルー・フェアリーという妖精で、IFAの創始者であり、十年に一度地球に降りてきてIFAの活動をチェックして帰っていくのだという。
本来、イマジナリー・フレンドはこの世に生まれた瞬間、ルールの説明のために現れる彼女の幻と対面するのだというが、私は会ったことがなかった。
マット・ツーは私が知らない最も重要なルールとして、「妖精やイマジナリー・フレンドの存在を他の人間に口外しないこと」を挙げた。
マウス「口外するとどうなるんですか?」
マット・ツー「その人間はお星様になってしまうでしょう」
マウス「それは過酷ですね…」
私は急いで帰り、ウォルトに尋ねた。
マウス「君は私のことをほかのだれかにはなそうとしたことはないかい?」
ウォルト「うーん、ないな」
マウス「どうしてだい?」
ウォルト「ネズミと話せるなんて言っても誰も信じないだろう。それに君と話せる能力というのは神様がくれたプレゼントかもしれないからね」
彼なら問題なく信用できそうだ、と私は胸を撫で下ろした。
友人の猟犬パップは一見普通の犬っぽく見えるのだが、例のイマジナリー・フレンドの話を聞いて以来、どこか人間っぽい動きをするように見えてきたので、彼に思い切って聞いてみることにしたのである。
マウス「ねぇ、パップ。君は誰かのイマジナリー・フレンドなのかい?」
パップ「あぁ、そうだよ。オイラはイマジナリー・フレンドさ」
マウス「君のパートナーは何をしている人なんだい?」
パップ「何をしてるんだろうねぇ」
マウス「じゃあ、その人の名前は?」
パップ「なんていったっけなぁ…」
パップはとぼけた口調で答えた。
ウォルトは私と遊んでいるパップのとぼけた仕草を面白がり、彼をモデルにしてプルートやグーフィーといったキャラクターを生み出した。
グーフィーのキャラクターは後に洗練されていき、若手アニメーターであるアート・バビットの輝かしい功績となった。
ある日、マット・ツーからの手紙に彼のパートナーが出資したユナイテッド・アーティスツという配給会社がディズニーと手を組みたがっているからよろしくと書かれていた。
しばらくしてウォルトにユナイテッド・アーティスツの社長から本当に連絡が来た。
ウォルトはユナイテッド・アーティスツの共同出資者であるマット・ツーのオーナー、つまり憧れの喜劇王チャップリンと会うこともできた。
憧れのチャップリンと対面したウォルトは少年のような眼をしていた。
マット・ツーは遠くから私に向けて親指を立てて微笑んでいた。
<つづく>
登場人物
◆マウス
物語の語り手。
ウォルトとだけ話すことができるネズミのイマジナリー・フレンド。
◆ウォルト・ディズニー
マウスのオーナーで、彼と話せる。
ミッキーマウスの生みの親で、アニメーションに革命を起こす。
◆ロイ・ディズニー
ウォルト・ディズニーの8歳年上の兄。
独創性のある弟を財政面で支える良き理解者。
◆アブ・アイワークス
ウォルトが勤務先で出会った天才アニメーター。
ウォルトと組んでアニメ事業を開始する。
◆リリアン・ディズニー
ウォルト・ディズニーの妻。
ミッキーマウスの名付け親でもある。
◆エドナ・ディズニー
ロイ・ディズニーの妻。
◆トニー
赤い蝶ネクタイをしたカエル。
何者かのイマジナリー・フレンド。
◆パット・パワーズ
ニューヨークに顔の利く配給業者。
ウォルトからミッキーとアブを引き抜こうと企む。
◆パップ
マウスの友人である犬のイマジナリー・フレンド。
オーナーは不明。グーフィーのモデルとなった。
◆黒コートの動物
暗い夜道でマウスを突然襲った謎の小動物。
黒コートを着ており、顔はフードで隠されている。
◆マット・ツー
シルクハットをかぶった紳士風の雑種犬。
マウスにイマジナリー・フレンドについて教える。
◆コバルト・ブルー・フェアリー
マット・ツーにIFAの統括を任せている妖精。
10年に一度だけ地球を訪れる。
◆受付の猫
IFAの受付を務める気だるい雌の猫。オーナーはいない。
◆アート・バビット
ディズニー・スタジオのアニメーター。
グーフィーの生みの親。
◆チャールズ・チャップリン
ウォルトのあこがれの喜劇王。
ユナイテッド・アーティスツ創設メンバー。