ディズニー データベース 別館

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【連載】幻のねずみ #04『蒸気船とカエルと人間と』

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※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。


ウォルトは昨年、大西洋単独無着陸飛行を成功させたリンドバーグの偉業に関心を持っていた。

そこからインスピレーションを膨らませ、ミッキーの役柄はリンドバーグ気取りの飛行機乗りということになった。

そしてウォルトは自宅のガレージに簡易的な作業場を作ると、オズワルドの傍ら新作を作ることにした。

アブは原画を一日700枚という驚異的なスピードで描き上げ、トレースや彩色の作業にはリリーやエドナが協力した。

ミッキーの最初の映画である『プレーン・クレイジー』は近場の映画館で小規模に公開された。

オズワルドと同様のサイレント映画であったため、劇場のオルガン奏者が生演奏でミッキーの愉快な冒険を彩った。

ウォルトたちのノウハウの蓄積もあり、ミッキーの評判は上々であったが、それでは満足しないのがこの男なのであった。



当時の映画はサイレントを主流としていたが、1927年10月6日に公開された『ジャズ・シンガー』は全編ではないにしろ、世界初のトーキー映画であった。

ウォルトは「ミッキーを本格的にスクリーンでお披露目する時にはもっとインパクトが必要なんだ」と私に語っていた。

ジャズ・シンガー』の話を熱心にする彼を見て、「なるほど、そういうことか」と思ったものであった。

彼はさっそく最新の音響システムを持つニューヨークの代理店を捜し、シネフォンという独立した音響システムを持つパット・パワーズという男との契約まで漕ぎ着けた。

パワーズは音響設備の販売のほかにも配給会社の調達まで請け負っており、1,000ドルで仲介をしてくれた。

「何から何までありがとうございます。パワーズさん。」
「いえ、あなたがたのような映画界の素晴らしい才能が世に出てくださることが私には何より嬉しいんですよ」

私にはあまりに親切なその男の笑顔が胡散臭くも感じられ、どうにも気になった。



『プレーン・クレイジー』で華麗に空を舞ったミッキーの次の大きな舞台は河であった。

1928年に公開されたバスター・キートンの『キートンの蒸気船』のパロディとして『蒸気船ウィリー』と名付けられた同作は、ミッキーが船の備品や動物を使って楽しく演奏を繰り広げるという作品になった。

当時はアニメを実際に再生しながら、同時に効果音や声、オーケストラを同時に録音していく手法が採られていた。

もちろんそれは難しい作業であり、音はなかなか思い通りには映像とシンクロしなかった。

当時は既に音声を伴うアニメーションはいくつかあるにあったが、全編にわたって完全にシンクロした作品というものはなかった。

録音のやり直しにも費用がかかり、ウォルトはスタジオの財政面を担当する兄のロイに資金集めを依頼する電報を打った。

ウォルトは「必要であれば愛車を売っても構わない」と付け足すことを忘れなかった。

ウォルトは指揮者やスタッフたちと打ち合わせを重ね、あくまでもシンクロの精度にこだわった。

彼らはやり直しの際には楽団の規模を縮小したり、フィルムに目印を入れて曲を合わせやすくした。

こうして完成した『蒸気船ウィリー』の可能性を見抜いた配給会社はあまり無かったが、ベテラン実業家のライケンバックがこれを気に入って上映すると言ってくれた。

1928年11月18日、ミッキーの本格的なスクリーンデビューとなる『蒸気船ウィリー』は、ブロードウェイのコロニーシアターで2週間の上映が始まった。



『蒸気船ウィリー』は世間で絶賛され、ある新聞記者は椅子から転げ落ちるほどだったと評した。

それからしばらくすると、私のもとに赤い蝶ネクタイをしたカエルが訪れた。

トニー「やぁ、どうもどうも。ワタシ、カエルのトニーという者でヤンス。あなたは…?」
マウス「あ、私はマウスです。」
トニー「ウォルト・ディズニーさんのトコのマウスさんというでヤンスね。いやはや。」

トニーは私の名前を何やらメモに取ると、話し続けた。

トニー「いやぁ、ワタシもアニメーション映画というものはいくつか鑑賞したことがあるんですがね、アレほどセンセーショナルなのは見たことないでヤンスね。音楽と映像が見事に、こうシンクロしていらっしゃる。」
マウス「そうですね。ウォルトもこだわって作っていましたよ」
トニー「それだけの技術があるのなら、きっとこの映画業界で大儲けできるはずでヤンス。どうでしょう、ここでひとつワタシと手を組んでみるのは?」
マウス「え…?でも私は別にウォルトの秘書ではないので…」
トニー「しかしながら、あなたはご自分の立場をわかっているはずでヤンス。あなたが断るということはウォルト・ディズニー・スタジオ全体の宣戦布告だと捉えていいでヤンスね?」
マウス「ちょっと待ってください。どういうことですか?」
トニー「アブもそう言ったんでヤンスか?」
マウス「え、どうして今アブの話が出てくるのですか?」

目の前のカエルは私のことをウォルトの代理人か何かだと考えているのであろうか。

何かを決めつけたようなその口ぶりに私は混乱した。

「そうですか。そちらがその気なら結構でヤンス。」

トニーは苛立ちを隠しきれずに帰り支度を始めた。

「私の誘いに背を向けたことを、きっと今に思い知ることになるでヤンスよ。」

去っていくトニーの後ろ姿を見て、取り残された私は呆然と立ち尽くすしかなかった。


<つづく>


登場人物

◆マウス
物語の語り手。ウォルトとだけ話すことができるネズミ。

ウォルト・ディズニー
アニメーション映画を制作する青年。
世界的に有名なミッキーマウスの生みの親となる人物。

◆ロイ・ディズニー
ウォルト・ディズニーの8歳年上の兄。
独創性のある弟を財政面で支える良き理解者。

◆トニー
マウスの前に現れた赤い蝶ネクタイのカエル。
マウスに手を組むように提案する。

◆パット・パワーズ
ニューヨークに顔の利く配給業者。
ウォルトに音響システム『シネフォン』の採用を薦める。

◆ハリー・ライケンバック
コロニー劇場の経営者。
ミッキーマウスの作品の上映を申し出る。


史実への招待

『蒸気船ウィリー』は世界初のトーキー・アニメーションとして革命を起こしました。

ミッキーが舵を回しながら口笛を吹くシーンは有名で、2007年(『ルイスと未来泥棒』)以降のウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの映画のイントロでも使用されています。

ミッキーが約40年ぶりに復帰した短編映画『ミッキーのアルバイトは危機一髪』では、ミッキーが財布の中に『蒸気船ウィリー』の写真を入れているシーンが登場します。

セルフパロディに使われる機会も多く、『アラジン完結編 盗賊王の伝説』ではジーニーに、『ミッキーマウス・ワークス』ではモーティマーに、『ハウス・オブ・マウス ミッキーとディズニーのなかまたち』ではドナルドにパロディされています。

また、『ミッキーマウス・ワークス』の他のエピソードでは、グーフィーが『蒸気船ウィリー』のパロディをしていたところ、本物のミッキーの船に激突して沈むというギャグもあります。

ミッキーが過去の出演作品を巡るアクションゲーム『ミッキーマニア』や『ディズニー エピックミッキー ミッキーマウスと魔法の筆』では、『蒸気船ウィリー』の世界を冒険することもできます。

ディズニーのアニメ史においてはサイレント映画などさらに遡ることもできますが、最も大きなインパクトを与えた原点と言えるのは、やはり『蒸気船ウィリー』でしょう。