※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。
彼、ウォルト・ディズニーという名前の男はアニメーションを生業としている青年だった。
彼はハリウッドから帰るところで、自分の主力としていたウサギの代わりとなる新たなキャラクターを至急考え出さなければならない状況にあった。
ウォルトは私の姿をまじまじと見てネズミのキャラクターを生み出すことに決め、名前の参考にしたいからと、私に名前を教えるようにねだった。
私は答えてあげたいのは山々だったが、何せ記憶がないものだから自分の名前についても答えられるものはない。
私は彼に協力してあげたい一心でその場で名前を考えた。
普通、親から貰った名を名乗る分には恥ずかしくもないだろうが、私が今答えようとしている名前はふと浮かんだ名前なのだから気恥ずかしさがある。
「モーティマー……」
真剣な顔をしていたウォルトは急に笑顔になり、「素敵な名前じゃないか!」と言った。
「モーティマー。うん、いいぞ!」
ウォルトはネズミのキャラクターをモーティマーと名付けることにした。
その後、私はウォルトのかばんの中に身を潜め、彼と妻リリーの話し声に聞き耳を立てた。
ウォルト「ごらん、リリー。このキャラクターがオズワルドに代わる新たなスターになるんだ」
リリー「あら、いいわね。名前は何て言うの?」
ウォルト「モーティマーだよ」
リリー「モーティマー…?」
リリーは怪訝そうな顔をした。
「覚えづらくて親しみにくい名前だわ。私だったらミッキーって付けるわ」
「なるほど、それは良い名前だ」
結局、未来のスーパースターはミッキーと名付けられることになった。
サンタフェ鉄道が一分遅れで駅に到着すると、ウォルトは私をカバンの中に偲ばせた。
列車から出ると、アブがウォルトを出迎えた。
アブはウォルトの元気のない様子を見て心配にはなったが、ウォルトの目は既に未来を見ていた。
ウォルトは残りのオズワルド作品を作りながら、新しいキャラクターを生み出すことを提案した。
「私たちならオズワルドよりもっと面白いものを作れる」
「何か案はあるのかい?」
「あぁ、もちろん。アブ、ネズミだよ」
「ネズミだって?」
「ほら、ラフォグラムのオフィスを走り回っていたネズミがいただろ?あれに着想を得たんだ」
ウォルトはそう言うと、カバンの中の私に目配せした。
仕事場のデスクに着くと、ウォルトとアブはオズワルドのスケッチを描きながら議論を始めた。
「洋なし型の身体に丸い顔。二本の細い足。」
「うん」
「そこに長い耳をつければウサギだね。この耳を短くすれば…」
「これじゃあまるで猫じゃないか」
「でも鼻を細長くしたら…」
「いいね。確かにこれはネズミだ」
アブはそこからネズミに手を加えて新たなキャラクターが完成させた。
「しかしだね、ウォルト。今までぼくらのアニメには脇役でネズミのキャラクターは出てきたけど、主役っていうのはどうなんだろう。やっぱりネズミといったら清潔感のイメージはないし、屋内に出でもしたらひやっとするだろう?」
「確かに実物ならそうだが、これはマンガだ。オズワルドみたいに愛嬌のある感じにすればきっと大丈夫さ」
頭では理解していながらも、カバンの外から聞こえるネズミのイメージにはいささか不満を感じた。
不思議なことに、まるで自分が何年もネズミの姿で暮らしている、ネズミに誇りを持った生き物のように感じられてきた。
その日から私はウォルトの部屋でこっそりと居候させてもらうことになった。
私の頭にひと晩中、「覚えづらくって親しみにくい名前だわ」がこだましたことは言うまでもない。
「覚えづらくって親しみにくい名前だわ…」
「覚えづらくって親しみにくい名前だわ…」
「覚えづらくって親しみにくい名前だわ…」
翌朝、ウォルトが申し訳なさそうに頭をかいて名前のことを伝えようとしてきたので、私は「ご心配なく。話はカバンの外から聞こえてたさ」と遮った。
「ごめんよ、モーティマー」
私はその名で呼ばれて顔から火が出る思いだったので、「私のことは、何か他の名前で読んでくれないかな…!」と叫んだ。
私の人生一日目の記憶はこうして幕を開けたのであった。
ウォルトは最初の頃は私に良い名前をつけようといろいろ考えてきたようで、名前の最後にマウスをつけて色々試していた。
彼の中の良い友達の名をとってファイファー・マウスやらラッセウ・マウスやら色々試していたが、だんだん面倒になったのかねずみさんやらマウスくんやら呼ぶようになり、自然とマウスに定着していった。
私も名前に強いこだわりはなかったので、なあなあでマウスと呼ばれて返事をする、といった具合になった。
<つづく>
登場人物
◆マウス
物語の語り手。ウォルトとだけ話すことができるネズミ。
◆ウォルト・ディズニー
アニメーション映画を制作する青年。
世界的に有名なミッキーマウスの生みの親となる人物。
◆アブ・アイワークス
ウォルトとコンビを組む天才アニメーター。
ウォルトとともにミッキーの生みの親として作品を手掛ける。
史実への招待
ミッキーに元々付けられる予定だったモーティマーという名前ですが、1936年に短編映画『ミッキーのライバル大騒動』に登場するミッキーのライバルの名前として採用されています。
モーティマーはミッキーとは正反対で、背が高く、人を小馬鹿にしたようなユーモアで場を盛り上げるタイプです。
ミニーの幼馴染みである彼の登場が面白くないミッキーは何をやっても彼に勝つことができませんが、映画の後半ではミニーを想う気持ちと勇気を披露します。
ニンテンドーゲームキューブで発売された『ディズニースポーツ』シリーズでは長身を生かした選手としてプレイアブルキャラクターに抜擢されています。
モーティマーのルーツを辿ると、1930年に連載されていたフロイド・ゴットフレッドソンの新聞用コミック『Mr. Slicker and the Egg Robbers』にMr.スリッカーという名前で登場しているキャラクターが前身だと言われています。
近年でも登場頻度は高くありませんが、『ミッキーマウスとロードレーサーズ』や『ミッキーマウスのワンダフルワールド』でもお目にかかることができます。
ボツ案が後に別の形で採用される逸話に関しては、調べてみると新たな発見があるかもしれませんね。