※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。
ミッキーのスクリーンデビューは華々しいものであった。
ウォルトは連日、私にミッキーの話をした。
「ミッキーを主人公にしたトーキー映画をもっと作ろう。いや、前に街の映画館用に作った『プレーン・クレイジー』や南米のガウチョのお話もトーキーにして出し直そう」
ウォルトのミッキーへの熱量はもちろん高かったが、同じく熱心だったのは『蒸気船ウィリー』の成功を眺めていた映画会社たちも同様であった。
ウォルト「映画会社の連中もミッキーの良さに気づいてくれたみたいだ」
マウス「すごいじゃないか、ウォルト。どこも良い条件を出してくれるんだろう?」
ウォルト「あぁ、そうだよ、マウス。でもミッキーの買い取りに応じないつもりさ」
マウス「それはどうして?」
ウォルト「オズワルドの時の失敗は繰り返したくないんだよ」
ウォルトは私の前ではオズワルドの話はあまりしたがらなかった。
ウォルトがパワーズに相談すると、パワーズもミッキーの独立を守れるように支援してくれた。
「いいね、ウォルトくん。これからも安心してミッキーの作品づくりに専念してくれたまえよ」
ある時、ウォルトはミッキーの音楽を手掛けるカール・スターリングとの間で方向性の食い違いを経験した。
ウォルトは悩みがあると私に話しかけた。
ウォルト「私は音楽を使ってミッキーの魅力を引き出したいんだ」
マウス「でも、カールは音楽を主体にしたいわけだね?」
ウォルト「そう、彼のやりたいテーマだとミッキーの持ち味が上手く活かせないんだ。むしろミッキー以外の世界観でやったほうがいいかもしれない。」
マウス「音楽が主体なら、その曲調に合わせた作品にしたほうがいいわけだね?」
ウォルト「そうだ。たとえばおどろおどろしい音楽に合わせて地獄の炎が踊り回るアニメーションを作るとして、その世界をミッキーが冒険するべきだと思うかい?」
マウス「うーん、何ごとも適材適所って考え方はあると思うなぁ」
ウォルト「そう、君の言うとおりだ」
ウォルトはミッキーとは別に、音楽を主人公としたアニメーションの新技術の実験の場として新シリーズを始動させることにした。
『シリー・シンフォニー』と名付けられたそのシリーズは『骸骨の踊り』という墓場を舞台にしたアニメ映画で始動し、ミッキーのシリーズと並行で展開された。
ウォルトはこんな感じで私に悩みごとを話すことはあったが、こちらが相槌を打っているだけで彼は自問自答して自ら答えを導き出すことがほとんどだった。
私は天才が悩みを解決していく歴史的な瞬間に立ち会っているような気分をいつも楽しんだ。
「ノートにミッキーの顔だって?」
私はチーズの箱に顔を突っ込みながらウォルトの言葉に反応した。
ウォルト「うん。面白い話だろう」
マウス「それで君はなんて答えたんだい?」
ウォルト「もちろんオーケーしたさ」
1929年も終わりに近づく頃、ウォルトはノートにミッキーの顔を入れたいという申し出に応じ、初めてミッキーのキャラクターグッズを認めた。
ミッキーのノートの人気は上々だったが、場当たり的なその契約で儲けはなかった。
そこでロイはキャラクターグッズの収益性に可能性を感じ、本格的に広告業のプロと手を組むことを提案した。
ミッキーマウスのシリーズは順調に人気を得て、各地にはミッキーのファンたちによるミッキーマウス・クラブと呼ばれるファンクラブのようなものが発足した。
パワーズは売上を重視しており、アニメと音楽の融合や芸術性、新たな技術の開発に重きを置いたシリー・シンフォニーよりもミッキーの新作を要求してきた。
ロイはパワーズのやり方を警戒するようになり、ウォルトも十年来の相棒であるアブと摩擦を生み始めていた。
私はちょっとした不安を感じ取っていたが、ある雨の日の訪問者の登場によってそれは確信に変わった。
「どうも、マウスさん。お久しぶりでヤンス。今日はいい天気ですなぁ。」
赤い蝶ネクタイのカエルが土砂降りの雨の中、葉っぱの傘を持って立っていた。
1930年1月、ロイの薦めでウォルトはリリーとレッシングを連れてパワーズのもとへと向かった。
ロイの予感とトニーの言葉には間違いは無かった。
パワーズはスタジオを乗っ取ろうとアブを引き抜いており、ウォルトにもその要求を呑むように迫っていた。
パワーズの条件に乗ってもスタジオの儲けはほとんどないと判断したウォルトらは手切れ金を納めて、パワーズと縁を切ることにした。
ウォルトは帰宅してからも信頼していた友人の裏切りに呆然としていた。
マウス「ウォルト、大丈夫かい?」
ウォルト「アブは仲間たちがミンツに引き抜かれた時も味方になってくれたんだ。だから今回もそうなると思ってたのに…」
マウス「ミンツの時っていうのは…」
ウォルト「オズワルドの時だよ」
マウス「オズワルドの時…」
ウォルト「そう」
マウス「差し支えなければ聞かせてもらえないかな。これまでのこと」
ウォルトは私と出会うまでの物語について口を開き始めた。
<つづく>
登場人物
◆マウス
物語の語り手。ウォルトとだけ話すことができるネズミ。
◆ウォルト・ディズニー
アニメーション映画を制作する青年。
世界的に有名なミッキーマウスの生みの親となる人物。
◆ロイ・ディズニー
ウォルト・ディズニーの8歳年上の兄。
独創性のある弟を財政面で支える良き理解者。
◆トニー
マウスの前に現れた赤い蝶ネクタイのカエル。
マウスに手を組むように提案する。
◆パット・パワーズ
ニューヨークに顔の利く配給業者。
ウォルトに音響システム『シネフォン』の採用を薦める。
史実への招待
アブ・アイワークスは1901年3月24日、オランダ系とドイツ系の貧しい家庭に生まれました。
母親は26歳のローラ、父親は57歳のアート・アイワークスでした。
父は素人発明家で、アブが技術や発明に興味を持つ大きなきっかけとなりました。
やがて、アブは14歳の時に『恐竜ガーティ』というアニメに心を奪われます。
しかし、しばらくすると父が家族を捨てて家出してしまい、残されたアブは大黒柱として家計を支えていかなくてはならなくなります。
やりがいのある仕事よりも、収入になる仕事を選んだアブの退屈しのぎはイラストでした。
仕事を始めて三年ほど経つと、アブは地元の美術学校に入り、やりがいのある美術の仕事を探します。
アブは商業広告の会社で頭角を現します。
そして、彼の入社から一ヶ月後に入ってきた新しい社員がウォルト・ディズニーだったのです。