※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。
ディズニーはアニメ映画を制作するにあたり、新たな技術の開拓はもちろんのこと、アニメーターたちの教育にも努力を惜しまなかった。
ウォルト「やぁ、マウス。今日はこの部屋にお客様が来るから、食べカスは片付けておいてくれよ。」
マウス「おはよう、ウォルト。誰が来るんだい?」
ウォルト「去年からうちのスタッフをシュイナード芸術学校の夜間クラスで学ばせているだろう?今週からは講師のドンにこちらに来て美術教室を開いてもらうことにしたんだよ」
美術のプロの授業はアニメーターたちへの刺激となり、講師のドン・グラハムもアニメーターたちからお互いに学び合う関係となった。
アニメーションの動きの技術に関する授業は存在しなかったため、自分たちで考案し後進のサポートに務めるスタッフもいた。
ディズニーからよそのアニメ・スタジオへ移籍したり独立したりする者も一定数いたため、結果としてディズニーの教育はアニメ業界全体の技術向上に貢献したと言えるかもしれない。
さて、カエルのフリップがデビューした時、ウォルトが私に話したカラーの構想はわずか二年もしないうちに実現することとなった。
1932年のこと。
ウォルトたちはシリー・シンフォニー向けに『花と木』というアニメーション映画を制作していた。
シューベルトの『魔王』に乗せて意地悪な老いぼれの木が若いカップルを引き裂こうと、火を放つ。
森の仲間たちは協力して火事を鎮火させ、若い木の男性は女性にプロポーズ、『結婚行進曲』に合わせてめでたくハッピーエンドという物語だ。
ウォルトがフリップのデビュー作の時に話していた三原色のカラーで、この作品を出せたらきっと見事な出来になるに違いない。
しかし、この作品は既にモノクロで制作が進められていた。
その時、隣の部屋からロイの素っ頓狂な声が響いてきた。
ロイ「カラーだって?」
ウォルト「そうだよ、兄さん。『花と木』をカラーでやるんだ。赤い炎に緑の木々、そして青い空。これ以上、鮮やかなカラーが映えない作品はないだろう?」
ウォルトの言葉は提案というより、決定事項を通達する長官のようでもあった。
フリップのデビュー作をはじめ、これまで作られたカラー作品は赤と緑のフィルムをチカチカさせて擬似的にカラーを作り出す手法が使われていた。
この手法には三原色の赤と緑は出せても、青はきれいに出すことができないという弱点を内在していた。
ディズニー・スタジオが学んでいた技術はテクニカラーといって、赤、緑、青を鮮やかに表現するもので、超天然色と呼ばれていた。
ディズニーはテクニカラーの技術を三年間独占してアニメーションに使う契約を結び、そのこけら落としをモノクロで作りかけていた『花と木』でやろうと言い出したのであった。
カラーはモノクロの三倍の予算を要し、ロイは資金の調達に奔走することとなった。
最初、私はロイの後ろ姿を見るたびに、どうしてそこまで弟の突飛な挑戦を支えようとするのか不思議に思うことはあった。
しかし、今ではその思考もすっかり薄れ、ロイに少しの同情を感じ得ながらも彼を応援したいと思うようになっていた。
友人である犬のパップは『カエルのフリップ』の一作目を見て「灰色に見えるよ」と語っていた。
犬が認識できるのは青と黄色のみで、フリップで使われていた赤と緑はグレーに見えるというのだ。
『花と木』の完成品をこっそり試写したパップは満足そうに、「木や花の色はよくわからなかったけど、あの青空は素晴らしいよ」と評した。
他にもイマジナリー・フレンド仲間のネズミと『花と木』を鑑賞する機会があった。
彼も色の素晴らしさを絶賛した後、「あの老いぼれの木が森に火を放つシーンは圧巻だったねぇ。火って赤いんだろう?赤って血の色だから人間に警戒心や興奮を与えるって聞いたことがあるよ。この赤い炎のシーンを人間の目で見られたらまたひと味違うんだろうなぁ」と述べた。
「いやいや、何言ってるんだい?あの森の火事は見事な赤色だろう?」
「わかった、君の想像力は認めるよ。でも俺は普通のネズミの目だから、青と緑しか分からないんだよ。赤は見えないんだ。」
キツネにつままれるとはまさにこのことだ。
ネズミには赤は認識できないらしい。
そしてそれはイマジナリー・フレンドのネズミも例外ではないということだ。
私の目には比喩でもなんでもなく、確かに赤い火が映っている。
私が特別なのか、それとも異常なのか。
『花と木』のカラー映像は人間の観衆たちにも驚きを持って迎え入れられ、翌年には新設されたアカデミー短編アニメ映画賞を受賞した。
<つづく>
登場人物
◆マウス
物語の語り手。
ウォルトとだけ話すことができるネズミのイマジナリー・フレンド。
◆ウォルト・ディズニー
マウスのオーナーで、彼と話せる。
ミッキーマウスの生みの親で、アニメーションに革命を起こす。
◆ロイ・ディズニー
ウォルト・ディズニーの8歳年上の兄。
独創性のある弟を財政面で支える良き理解者。
◆パップ
マウスの友人である犬のイマジナリー・フレンド。
オーナーは不明。グーフィーのモデルとなった。
◆ドン・グラハム
シュイナード美芸術学校の講師。
史実への招待
「A113」という文字列に聞き覚えはありませんか?
これは、ピクサーをはじめとする映画作品に小ネタとして登場する文字列であり、ブラッド・バード監督が使い始めたのをきっかけに、仲間たちも真似して使うようになりました。
この「A113」とは、カリフォルニア芸術学校(通称:カルアーツ)のアニメーターのクラスの教室番号に由来しており、このクラスからはジョン・ラセター、ティム・バートンといった著名人や、1990年代以降の
ディズニーを支える名アニメーターたちを輩出しました。
ウォルトはアニメーション業界の技術力向上を目指すために、シュイナード芸術学校の教えを受ける他にも、自分たちで様々なカリキュラムを用意してアニメーターを育てる環境を整備しました。
後にディズニーを退社したアニメーターもいますが、それによって業界の成長には貢献したと言えます。
そんなウォルトと兄のロイが1961年に先導して設立されたのが、カルアーツです。
2021年で創設60周年を迎えるカルアーツではアニメーションに留まらず、将来の様々な芸術を生み出す才能を育てています。