※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。
1937年の初めの時点で、クリスマスまでに映画を完成させるというスケジュールは大幅に遅れていた。
それでもスタッフたちは良い作品を作るために時間と金と手間を惜しまず働いた。
ウォルトは私財を投じるために何もかもを抵当に入れたし、速くいい絵を描けるアニメーターにはボーナスを出した。
遠近法を表現するマルチプレーン・カメラも起用し、時間はかかったがその価値ある映像を作り出すことはできた。
スタジオは12時間の交代制で、昼夜スタッフが出入りした。
難航した白雪姫のデザインはアルバート・ハーターによって上品で可愛らしいものへと落ち着き、白雪姫のモデルはバレエ・ダンサーのマージ・チャンピオンが務めた。
ウォルトは白雪姫は顔が白すぎると思っていたが、彩色担当の女性が赤い染料で陰影をつけたことで、より本物の人間らしい美しい肌になった。
映画作りにおける最大の難関は、観客がアニメーションの登場人物に感情移入できるかどうかだった。
これまでの短編アニメーションではギャグを用いて観客を笑わせることはできても、観客をハラハラさせ、ましてや涙を流させるようなことはあまりなかった。
本作では、音楽や劇中歌でストーリーを語ることを目指した。
主人公の願いを『私の願い』、夢を『いつか王子様が』というソロの楽曲で歌わせた。
後者は白雪姫がこびとたちに向けて自分の夢を歌う楽曲で、彼女の歌にうっとりと聴き入るこびとたちを映し出すショットを挿入した。
製作も終盤に近づく9月頃になると、ウォルトはスタッフが持っていた『ピノッキオの冒険』に関心を持ち、本を読むうちに次回作の候補のひとつとして頭の片隅に置くようになった。
映画の編集は公開のギリギリまで行われ、公開4日前にリテイクされたものまであった。
12月21日、カーセイ・サークル・シアターで『白雪姫』のプレミアは行われた。
ウォルトは上映中、ずっとそわそわしており、隣で妻に手を握ってもらっていた。
観客はおとぼけの登場シーンでは手を叩いて大笑いし、白雪姫が毒を盛られて眠りにつくシーンでは涙を流した。
ろうが溶けて滴る様子や、動物を流れて伝う雨の描写はこびとたちの涙であり、また観客の涙でも合った。
スクリーンにThe Endという文字が映し出されると、観客は皆拍手喝采だった。
私とダックとパップは、はたまたディズニーがアニメーションの歴史を塗り替えた瞬間を目の当たりにし、誇らしげに感じていた。
新聞も『白雪姫』のクオリティの高さを絶賛し、手のひらを返したように「ディズニーの道楽が歴史を作る」「漫画映画の奇跡」といった見出しでその素晴らしさを報道した。
1938年の元日には家族が勢揃いし、両親の金婚式を祝福した。
そして、『白雪姫』の一般公開も本格的に始まり、全米の小さな映画館でも上映され、最終的には49ヶ国で公開され、10ヶ国語に吹き替えられた。
一部の国では七人のこびとのベッドに書かれている彼らの名前の文字もその国の言葉に書き換えられた。
映画はロンドン、パリ、シドニーでも大ヒットし、『白雪姫』のもたらした興行収入で、スタジオの抱えていた多額の借金をあっという間に全額返済し、従業員にボーナスを支給するまでに至った。
ディズニー家はダイアンに引き続き、養子として次女のシャロンを家族に迎え入れ、順風満帆な家庭となっていた。
『白雪姫』の大ヒットは興行収入以外にも様々な効果をもたらした。
ウォルトは大学には行っていなかったが、ハーバード大学とエール大学から名誉修士号を授与された
ロイは白雪姫の食器やスカーフ、ゼリー、塗り絵などを販売することを決め、デパートのショーの契約も結ぶなど、映画のヒットは多方面の恩恵を生んでいた。
また、業界他社であるMGMも『白雪姫』のヒットの影響で、ミュージカル『オズの魔法使』の制作を決めたという。
アカデミー賞の際には七人のこびとをイメージした特別なオスカー像が与えられ、国民的子役のシャーリー・テンプルから直接授与を受けた。
こうして映画の大ヒットは、会社の方向性を決める大きな転換点となった。
短編映画は安定した収入をもたらし、アニメーターの成長のためにも欠かせない事業であった。
しかし、会社の成長の糧になるのは、やはり世間の大作映画と肩を並べる『白雪姫』のような長編映画のヒットであった。
ウォルトは『三匹の子ぶた』の経験から、続編制作のオファーを断り新たな長編映画の計画を練ることになった。
しかし、多数の短編映画のプロジェクトや3本もの長編映画の各部門を機能させるためにはハイペリオンのスタジオはあまりに手狭であった。
そこでフルタイムの従業員を2倍に増やし、ウォルトはロイに相談することなくバーバンクに広大な敷地を購入して理想の新スタジオを建設することにした。
ウォルトは新スタジオの設計に熱心になり、アニメーション制作のための最新鋭の設備を導入し、従業員の通勤時間を省くためのアパートも建てることにした。
倹約家だったウォルトの父イライアスが「こんなでっかいスタジオを作って潰れたらどうするんだ」と言うと、ウォルトは「病院として売るよ」としれっと答えるのであった。
ある日、ウォルトが家でくつろいでいる子供部屋から楽しげな笑い声が聞こえてきた、
娘のダイアンとシャロンはウォルトの「何を笑っているんだい?」という問いかけに「メリー・ポピンズよ」と答えた。
『メリー・ポピンズ』とは、オーストラリア生まれの作家P・L・トラヴァースが著した児童文学であった。
リリーもこの本を楽しみ、ウォルトに薦めた。
ウォルトはメリー・ポピンズの物語をすっかり気に入り、何度も繰り返し読んだ。
ダイアンはこの物語が映画になったらと考えており、やがて、ウォルトはこの作品をぜひとも映画化したいと考えるようになった。
ウォルトは直接トラヴァースに手紙を出すことにしたが、話は思うように進まなかった。
<つづく>
登場人物
◆マウス
物語の語り手。
ウォルトとだけ話すことができるネズミのイマジナリー・フレンド。
◆ウォルト・ディズニー
マウスのオーナーで、彼と話せる。
ミッキーマウスの生みの親で、アニメーションに革命を起こす。
◆ロイ・ディズニー
ウォルト・ディズニーの8歳年上の兄。
独創性のある弟を財政面で支える良き理解者。
◆パップ
マウスの友人である犬のイマジナリー・フレンド。
オーナーは不明。グーフィーのモデルとなった。
◆ダック
マウスの友人である礼儀正しいアヒル。
クラレンス・ナッシュのイマジナリー・フレンド。
◆アルバート・ハーター
ディズニー・スタジオのアニメーター。
白雪姫のデザインを担当する。
◆マージ・チャンピオン
白雪姫のモデルを務めたバレエ・ダンサー。
◆リリアン・ディズニー
ウォルト・ディズニーの妻。
ミッキーマウスの名付け親でもある。
◆ダイアン・ディズニー
ウォルトとリリアンの長女。
◆イライアス・ディズニー
ウォルトとロイの父。
息子の事業を厳しい目で評価する。
◆P・L・トラヴァース
『メリー・ポピンズ』の原作者。
ウォルトの映画化のオファーに難色を示す。
史実への招待
『白雪姫』の成功により、ディズニーのアニメーション・スタジオは現在のバーバンクに移転します。
ここから数々の名作アニメーションが制作されていくのです。
新スタジオを見学したいという希望者の声に応えるコンセプトで、オムニバス映画『リラクタント・ドラゴン』(1941年)の中で、スタジオの中が公開されました。
これは自分の作品をディズニーに売り込もうとするベンチリー氏がスタジオで迷子になりながら、様々な制作プロセスを見学していく寸劇形式の作品となっています。
当時はディズニーのテレビ番組も存在していませんから、貴重な映像資料として残っています。
2013年の映画『ウォルト・ディズニーの約束』では、1960年代のスタジオが登場し、実際のスタジオがロケ地に使われました。