【連載】幻のねずみ #07『ウォルト・ビフォア・ミッキー(後編)』
※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。
ハリウッドに到着したウォルトは一度はアニメーションを諦め、映画監督を志望していた。
チャップリンの撮影スタジオの近くを散歩したり、上手いことを言ってMGMの『ベン・ハー』のセットに入り込んだり、ユニバーサルの敷地をウロウロしたりしていたという。
掃除機のセールスをしていたロイはウォルトに定職に就き、安定した収入を得るようにと忠告した。
ウォルトもロイの忠告を聞き入れ、諦めようと腹をくくった。
その矢先、ウォルトにマーガレット・ウィンクラーという女性から電報が届いた。
彼女はウィンクラー・ピクチャーズという配給会社の女社長で、ウォルトがハリウッドに来る前に配給会社に片っ端から送っていた電報を目にして、ウォルトの「画期的な表現方法はどうなったのか」と興味を持ったのである。
ウォルトが未完成の『アリスの不思議の国』のフィルムを彼女の配給会社へと送ったところ、「ぜひ契約したい」という返事が返ってきた。
ウォルトは真っ先にロイの療養所を訪ねた。
ウォルト「兄さん!兄さん!」
ロイ「どうしたんだい、ウォルト。ここは病院だよ、もう少し静かにしてもらわないと…」
ウォルト「ごめんよ。でも、配給会社がアリスを気に入ってくれたんだ!ぜひとも契約したいって…」
ロイ「本当かい?!それはすごいじゃないか!!」
ウォルト「兄さん。静かにしないと…」
ロイ「そうだな。つい…」
ウォルト「兄さん。ラフォグラムの時は上手く行かなかったけど、今度は兄さんにも手伝ってもらいたいんだ。」
ロイは療養所を出て、ウォルトの仕事を裏方から手伝うことになった。
ロイは見る見るうちに元気になり、その後、結核が再発することはなかったという。
1923年10月に結ばれたウィンクラーとの契約では、1500ドルを6話分と1800ドルを6話分、さらに配給会社が望めば2作追加するというものだった。
ウィンクラーの要請で、アリス役はパイロット版で担当した女の子ヴァージニアが続投することになり、彼女は一家でカンザスシティから引っ越してくることになった。
ヴァージニアは月給100ドルでアリス役を演じた。
ウォルトとロイはキングズウェル通りの小さな店の中にオフィスを開き、ディズニー・ブラザーズ・スタジオを開業した。
1924年3月、『アリス・コメディ』と名付けられたそのシリーズの第一作が一般公開された。
ウォルトはアニメーターを雇って作業を進めていたが、アニメーションではどうしてもアブの技術には敵わなかったので、彼をカンザスから呼び寄せることにした。
アブはカンザスの安定した職を手放すことに躊躇したが、最終的に週40ドルで合意した。
1924年6月、アブは早速アリスを手直しし、少女よりアニメキャラクターに重点を置くスタイルを確立し、ウィンクラーはこの変更を喜んだ。
ウィンクラーはさらに高額でもいいからスピードを要求するようになり、ウォルトとロイは従業員を増やすことになり、二人の取り分はほとんど残らなくなった。
それでもロイが財務と経営の基盤を整えたことは、ディズニー・ブラザーズ・スタジオのラフォグラム社との大きな違いであった。
ロイは丈夫なセダンの新車を、ウォルトはおしゃれなムーンロードスターを購入した。
1925年4月11日、ロイはカンザス時代からの恋人エドナ・フランシスと結婚式を挙げ、7月13日にはウォルトもアニメーターとして雇っていた女性従業員リリアン・バウンズ(リリー)と結婚した。
ウォルトは作業効率を上げるためにロサンゼルスのシルバーレイク地区のより広い建物へスタジオを移す決心をし、さらにロイにディズニー・ブラザーズ・スタジオをウォルト・ディズニー・スタジオに改名すると宣言した。
ウィンクラーが映画プロデューサーで配給業者のチャールズ・ミンツと結婚すると、彼が実権を握るようになり、ディズニーへの金は遅れがちになった。
ある時、ミンツが「ネコのキャラクターは市場にあふれているから、ウサギのキャラクターを作るのはどうか」と薦めてきた。
アブのデザインとウォルトのプロットによって、オズワルドというウサギのキャラクターが作り出された。
ウサギのキャラクターが欲しいというのはユニバーサルからの希望であったが、結果としてユニバーサルという大手の配給会社によって『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』のシリーズが封切られることになったのはウォルトにとっては願ってもない快挙であった。
1927年4月、全26話の契約が結ばれて順風満帆のウォルトであったが、アニメーターへの残業代や休日出勤の手当はまっとうに支払われず、名声もウォルトに集中していたことから、スタッフからの不満は募っていた。
アブは「最近スタジオに顔を出す配給会社の男がアニメーターにひそひそ話をして帰っていくから用心したほうがいい」とウォルトに忠告したが、ウォルトは楽観的であった。
1928年2月、オズワルドは契約更新の時期となり、ウォルトはオズワルドの契約金を上げてもらおうと交渉するため、ニューヨークへと向かった。
しかし、ミンツはオズワルドのキャラクターの権利が自分にあることを知り、ウォルトに自分のところで働かないかと持ちかけてきた。
ウォルトは断ったが、すでに他のアニメーターはアブ以外ほぼ全員引き抜かれており、ウォルトはオズワルドも失うことになった。
ウォルトは「何も心配はいらない」と空元気の電報を打ったが、心は晴れなかった。
アブはあの辛かった時もウォルトの味方になってくれたのだという。
ウォルトはサンタフェ鉄道に乗って帰路につき、そこで私と初めて出会うことになった。
<つづく>
登場人物
◆ウォルト・ディズニー
映画監督を志望する青年。
『アリス・コメディ』のフィルムを手にハリウッドへと向かう。
◆ロイ・ディズニー
ウォルト・ディズニーの8歳年上の兄。
ウォルトをサポートする。
◆アブ・アイワークス
ウォルトが勤務先で出会った天才アニメーター。
ウォルトと組んでアニメ事業を開始する。
◆リリアン・バウンズ
ディズニーのスタジオで働く女性。
◆マーガレット・ウィンクラー
配給会社ウィンクラー・ピクチャーズの女社長。
◆チャールズ・ミンツ
マーガレット・ウィンクラーの夫。
彼女と結婚し、会社の実権を握る。
史実への招待
1920年代、もちろんインターネットはありませんでした。
アメリカ合衆国における電話の普及率は30%であり、この時代のウォルトの歴史にはたびたび電報が登場します。
映画会社への売り込みや家族への緊急連絡などで打たれた電報の中には今でも貴重な資料として保管・公開されているものもあります。
「ツー」「トン」の2種類の音を組み合わせたモールス信号で情報を送り、それを書き留める電報のスピード感は郵便よりも遥かに勝る画期的なものだったのです。
短編アニメ映画『ブタはブタ』でも緊急の報告のために電報を使用しています。
このモールス信号は『101匹わんちゃん』で犬たちが「夕暮れの遠吠え」で情報をリレーする際に「ウー」「ワン」という形で用いられています。
ちなみにディズニーランドの『ディズニーランド鉄道』ニューオーリンズ・スクエア駅では、ウォルトの開園当時のスピーチの一部がモールス信号として流れています。
現在の電子メールとは異なり、手紙のような形で残る電報。
そんな電報に込められた言葉に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。