ディズニー データベース 別館

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『南部の唄』のブログを書こう!超初級入門

お世話になっております。
キャリアセンター事務局です。


先日、ディズニーの自主規制の特集記事を執筆したのですが、その中で「スプラッシュ・マウンテンをティアナのアトラクションに」といった署名活動が行われていることに触れました。記事の公開からわずか二週間後、早くも現実となりました。


disneydb23.hatenablog.com



というわけで、世間の話題は「東京ディズニーリゾート再開」と「スプラッシュ・マウンテン」の二本柱で決まりです。後者に関してはブログで特集記事を書いたり、Twitterで意見を表明しようと思う方もいらっしゃるかと思います。


何を書きましょうか?『南部の唄』の問題点?ディズニーの差別表現の歴史?『スプラッシュ・マウンテン』そのものの歴史に焦点を当てるのもいいですし、アトラクションの変更の是非を論じるのもいいですね。


しかし、これから書くぞという方はちょっと深呼吸をして耳を傾けていただきたいのです。確かにスプラッシュ・マウンテン(『南部の唄』)の記事というのは、いま話題の人種差別問題と関連していることもあり、非常にタイムリーで社会的に意義のあるテーマのように思えます。ただ、デリケートな問題であるゆえ、その下調べを怠ると地雷を踏んだり、人種問題に詳しい方からお叱りの声が届くこともあるやもしれません。


これは何も「ブログ記事で南部の唄を取り上げるな」と言いたいわけではなく、「楽しくディズニーの話をしてたのに知らない人から非難された(泣)」「もうブログやめる……」といった被害者を減らしたい…そんな余計なお世話の記録であり、みなさんの発信者としてのキャリアを応援する企画なのです。早い話が余計なお世話ってことだ。


それでは今回も、1億3,000万人の誰か一人にでも響くことを祈って…!


目次

①まずは戦略を立てよう

それでは最初にブリーフィングを開始しましょう。


6月26日未明、アメリカのディズニー公式から『スプラッシュ・マウンテン』が『南部の唄』から『プリンセスと魔法のキス』にリテーミングされるという情報が公開されました。これから記事を書こうとしている方もこの出来事がきっかけでしょうから、きっとこんな書き出しから始まると思います。


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この、ディズニー公式が人種問題を理由に封印している映画『南部の唄』をモチーフにしたアトラクションを、初の黒人プリンセスが登場する映画『プリンセスと魔法のキス』でアップデートしようとしていることに、それぞれのファンは様々な意見を交わしてきました。


即時性の高いTwitterで見られた一次的な反応は「マジか」、先日の署名運動を知っている方であれば「本当にやったのか」といったものでしょう。朝になる頃には日本のニュースサイトも次々と取り上げたため、ディズニーの情報にさほど敏感でない人にも多くこの知らせが届いたことでしょう。数年に一回しかディズニーランドに行かない人でもスプラッシュ・マウンテンと聞けばピンと来るはずです。


一次的な反応は感情が最初に来ますが、人は次第にこの情報を噛み砕き、自分の知識の中でこのニュースに対して考察や批判を始めていきます。Twitterでは直感的に情報や意見を発信できるメリットがありますが、ブログでの発信に比べて情報の精査にかける時間が短くなり、自らの知識の範囲内で結論を出してそのまま投稿してしまいがちです。


今回のような海外のディズニーの速報に迅速に反応する層は、かなりのディズニーの知識を有している方たちだと予想されます。彼らは蓄積した知識を活かしてスプラッシュ・マウンテンの変更問題に関する意見を述べていきます。


しかし、『南部の唄』の最もセンシティブな点は人種問題を扱っていることにあります。ディズニーに詳しい人がいくら『南部の唄』に詳しくても、人種問題について穏便に発信できるとは限りません。


指摘をしてくださる人々は南部の唄や人種問題の正しい解釈を世に浸透させるべく、私たちに知識を与えてくれるとてもありがたい存在です。中には発信者の揚げ足を虎視眈々と狙っているごく一部の過激派もいるので要注意です。そちらの対策にばかり気を取られていると、過激派ディズニーマニアから反論されることも。受信者は発信した情報に対してリアクションをしますので、発信者側は細心の注意を払い、不用意なツッコミポイントは最低限に抑えていきたいところです。


本記事は「自分の知識に自信があるから、ディズニーマニアや人種問題の専門家のどんなツッコミもどんと来い!」というタイプではなく、ダメージを回避しながらもっとライトで手軽に記事を書きたいタイプの人をターゲットにしています。


戦況が分かったところで次は②の準備段階ですが、メインを急ぐ方は③へお進みください。

②まずは公式リリースを読もう

ここはまだ本題ではないのですが、スプラッシュ・マウンテン変更問題を論じる上で、唯一の情報ソースともいえる公式ブログには目を通しておきましょう。


d23.com


見出しだけを読んでフィーリングで発言した結果、とんでもない的外れなことを発信してしまう恐れもあります。最近ではこうした情報の要点を日本語でわかりやすく教えてくれるブログもあるので、英語が苦手なら活用しない手はないでしょう。


今回の例だと、
スプラッシュ・マウンテンがテーマ変更
◆対象はアナハイムとフロリダのみ
◆先日の署名活動起因ではなく、一年前から検討していた
◆描かれるのは映画の「その後」


…このぐらいの情報は押さえておけばバッチリでしょうか。なぜ『プリンセスと魔法のキス』が選ばれたのかについては、ティアナやニューオーリンズや音楽の魅力が挙げられており、予てから問題視されていた『スプラッシュ・マウンテン』のライドや景観に適格だったことが説明されています。


ちなみにここで情報収集を怠ると、「TDLスプラッシュ・マウンテンが変わっちゃうのか~」といった間違えた発信をしてしまいます。ここでは南部警察は出動しませんが、ディズニーの専門家に「東京はまだ検討中ですよ~」といった補足をされてちょっぴり恥ずかしい思いをします。そういうのも悪くないという方は是非どうぞ。

③南部の唄を知ろう

『南部の唄を観よう』にしたかったのですが、視聴困難なことはもちろん承知しています。なので、見られない場合は「主演俳優がプレミアに参加できなかった」みたいな裏話を仕入れるより前に、あらすじぐらいは押さえておきましょう。


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そして今回、発信にあたって最も慎重に扱っていただきたい最重要テーマはこちらです。


『南部の唄』は何が問題なのか? 


2020年現在、ディズニーは『南部の唄』を封印しています。厳密に封印したタイミングや理由は私にはわかりません。ただ、封印解除されない理由はボブ・アイガーが聞かれるたびに「今日の世界においては適切ではない」と答えており、「具体的にこれこれこういう点において問題がある」という詳細を特定するのは難しい問題です。


どんな発言をするとどのような文脈で読まれるのか。ネット上でよく見られるであろうモデルケースを提示したいと思います。

Aさん

「南部の唄は差別的な映画だから封印された」


これは最もシンプルなパターンで、聞いたことのある人も多いと思います。『南部の唄』に何らかの問題があることは知っていても、作品自体が封印されたためにまともに見ることができず、「黒人問題で封印されているんだから、さぞ差別的な内容なのだろう」と想像している人もいるようです。この発言はディズニーマニアからは支持を得られにくいものであり、Bさんタイプにたしなめられるパターンが多いので、Bさんの主張を見ていきましょう。

Bさん

「南部の唄には差別的な表現は出てこないんだよ。白人と黒人の関係性が対等のように描かれ、歴史上に存在した差別が描かれていないのが問題視されたんだ」


映画の舞台は南北戦争後であるので、登場人物の黒人は奴隷ではなく、白人の地主に土地や住居を与えられ、代わりに労働力と収穫の一部を差し出す小作人として登場します。なので立場は明らかに白人のほうが優位ですが、奴隷制度の名残が残る史実と比べると立場や話し言葉が対等に見えるということでしょう。シェア・クロッパー制を一口に対等と表記することはアメリカ史や人種問題に精通した人には違和感を覚えさせる可能性ありなので、記載には要注意です。

※日本語版ではリーマスおじさんが白人の子供にやたらと丁寧な呼び方をしているため、翻訳者が南北戦争前だと認識していた可能性もありますが、『南部の唄』の台詞に関して論じる場合は英語版をベースに話したほうが無難だと思われます。


また、こうした主張で挙げられている「差別的な表現」とは、白人が黒人に罵声を浴びせたり、ボロ雑巾のごとく不当な扱いをすることを指していると思われます。確かに『南部の唄』ではそのような描写はありませんし、全米黒人地位向上協会(NAACP)が「奴隷制を美化したような映画が後世に残り続けるのは遺憾ですなぁ」とコメントしているという事実もあります。これらがBさんの発言の根拠となっています。


Bさん派の方は「具体的にどの描写が対等なのか」「差別が描かれていればOKなのか」といった見解を示しておく必要はありそうです。


Bさんの意見には、Cさんのようなフォローが入るケースがあります。

Cさん

「南部の唄は南北戦争以前を描いた作品なのに、以後と勘違いされて批判されただけ」


公開当時には実際にこうした誤解が多く起きていたようです。

※この誤解は当時に限った話ではなく、なんと本日(2020/7/1)放送された『バイキング』(フジテレビ系列)でも南北戦争前を描いた作品と紹介されていたようです。


これまでヨーロッパの物語を長編映画化してきたウォルト・ディズニーにとって、本作は母国アメリカを舞台にした作品として特別な思い入れのあるものでした。


当然、制作にあたっては人種問題をクリアにする必要があり、アフリカ系アメリカ人の活動家や専門家に意見を求めました。「黒人が楽しく歌うような紋切り型の表現はやめるべきだ」「南北戦争後の世界であることを明示すべきだ」といったアドバイスがありましたが、ウォルトはあくまでも『白雪姫』から大事にしていた自分の直感を優先しました。結果、完成したフィルムで南北戦争後だとわかる台詞はリーマスおじさんの数言にとどまり、家や服装の描き方は南北戦争前を思わせると指摘する声もあります。


また、このバリエーションには「NAACPは映画を見ていないのに批判した」とするものもありますが、実際に問題点を指摘したメンバーは映画を視聴しています。また、映画の制作段階にはNAACPや米国人種問題協議会による事前検閲の要請がありましたが、ディズニー側はそれを却下しています。


Cさんの主張を使う際には、「ウォルトは勘違いされただけの被害者だ」という視点だけではなく、「だったら誤解を与えるような描き方をしたことに問題はないか」「南北戦争後だったら問題はないのか」「専門家や人種団体のアドバイスをへの対応は適切だったのか」といった視点からのカバーも併せて記載しましょう。


BさんやCさんは下調べをしたタイプですが、中にはDさんのような人もいるでしょう。

Dさん

「フィクションなんだからいいじゃん…」

これから南部の唄についてのブログを書こうという人には問題を放棄するタイプはいないとは思いますが、Twitterにはこうした人もいるかもしれません。フィクションだから何でも許されるという考え方はきわめて危険です。もし、この発言の理由が「南部の唄が好き」「今のスプラッシュ・マウンテンが好き」という感情に由来するものだと、「好き嫌いでしか物事を判断しない人」に見られてしまいます。思っていても発信はしないことを強くおすすめします。


前者4つのモデルケース(Aさん~Dさん)に当てはまるものはありましたか?当てはまった人も、当てはまらなかった人も、自分の意見がまだ定まっていないという人も、最後にEさんの視点を検討してみてください。

Eさん

「南部の唄は差別的な映画ではない、って本当にそうなの?」


Bさんの分析で、確かに「白人が黒人を乱暴に扱うシーンはない」とお伝えしました。それを差別的な表現がないこととイコールと判断しても良いのでしょうか?


黒人の話し言葉に過度なステレオタイプはなかったでしょうか?ブレア・ラビットの名前にBr’erという南部訛りの言葉が含まれているのは妥当なことでしょうか?また、リーマスおじさんの描かれ方はどうでしょうか?奴隷としての屈辱的な過去を持ちながらも、白人に雇われて笑顔で働き、雇い主の息子に優しく手を差し伸べる彼の姿は白人に都合の良い黒人描写になってはいないでしょうか?そうした描写を彼らの子孫が見た時にどう感じるでしょうか?そして、この差別被害の当事者ではない令和の日本人が「問題のある差別的表現は無かった」と断言して良いのでしょうか?


たとえば、あなたがスプラッシュ・マウンテンの変更問題をメインで論じるつもりで、冒頭に少し「南部の唄は差別的な表現のため規制されている作品です」「南部の唄は差別的な映画と誤解されがちですがそんなことはありません」と一言添えただけで、あなたがこの映画や人種問題をどう捉えているかを判断されます。


Eさんの考え方は問題提議レベルなので、既に自分の考えを持っている方でも適用することができますし、それをもう一度見つめ直す機会にもなるかと思います。どのタイプの方も一度立ち止まってこの視点から考えてみてはいかがでしょうか。

スプラッシュ・マウンテンを知ろう

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https://disneyworld.disney.go.com/attractions/magic-kingdom/splash-mountain/


スプラッシュ・マウンテン』は『南部の唄』で主に問題とされている実写パートを除いた、アニメ部分のみをモチーフにしたアトラクションです。『南部の唄』は1986年の再公開を最後にアメリカ国内で公式の手段で視聴することはできなくなりました。アナハイムのディズニーランドにこのアトラクションができたのは1989年です。そんなアトラクションにおいて議論されるのが…


「南部の唄のアニメパートのみをモチーフにしたスプラッシュ・マウンテンは不適切なのか」


『南部の唄』の悪は実写パートだけなのか。アニメには一切問題は無いのか。実写パートを削いでアニメパートのみでアトラクションを作ったこと自体が問題を隠蔽しようとしている姿勢なのではないか。アニメパートも悪だとしたら、うさぎどんたち付随するキャラクターも封印されるべき存在なのか。その動物たちが話す南部言葉は規制されるべきなのか。それならばジッパ・ディー・ドゥー・ダーは適切な存在なのか。


これらの問題は引き続き、⑤にも続いていきます。

プリンセスと魔法のキスを知ろう

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今回、スプラッシュ・マウンテンの新たな題材として選ばれたのは、『南部の唄』から60年以上を経て公開された『プリンセスと魔法のキス』です。既にフルCGアニメーションに移行していたウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが最後に手掛けた、手描きアニメのプリンセス映画です。


日本での知名度は低く、一部に熱狂的なファンを持つ作品ではありますが、アメリカのパークではショーやグリーティングで主人公のティアナの登場を心待ちにするファンもたくさんいるほどの人気の高い作品です。ティアナはディズニー初の黒人のプリンセスとして、制作当時には話題を集めました。


プリンセスと魔法のキス』は1920年代のニューオーリンズを舞台にしています。黒人のティアナと白人のシャーロットは親友で、家族ぐるみでの付き合いもありますが、視聴者には貧富や立場の差が感じ取れる作りとなっています。


この描写にも賛否両論あります。こちらの作品は視聴のハードルがぐっと下がりますので、論ずるならぜひもう一度目を通しておくべきですし、アメリカ国内での評判なんかを調べてみるのもいいでしょう。


④に関連して、『プリンセスと魔法のキス』の差別の描かれ方は適切か。『スプラッシュ・マウンテン』を『プリンセスと魔法のキス』でアップデートすることは根本的な問題解決になるのか。


『南部の唄』と比べると、遥かに議論の的にはされにくい作品ではありますが、考察の際には作品の舞台の歴史を頭に入れておくとより安心できると思います。

⑥描かれない差別に目を向けよう

最後に。大方ここまで押さえておく必要はないかと思いますが、『南部の唄』の問題点をメインに記事を執筆する方であれば、関連作品についても目を向けておきましょう。

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つい最近、配信停止騒動で話題となった『風と共に去りぬ』は『南部の唄』より7年も前に公開され、こちらも主に奴隷制の美化を問題視されている作品です。


『南部の唄』は「差別が描かれていないから問題」という説を唱える方は、『南部の唄』や『風と共に去りぬ』ではどのような差別が描かれていないのかをカバーするために『マンディンゴ』の視聴も検討すると良いでしょう。1975年に公開されたこの作品は黒人差別描写が生々しく、長年問題作として封印されていた作品です。現在は再評価されたことで封印解除されており、日本でもDVD化されています。監督はマックス・フライシャーの息子リチャード・フライシャー(『海底2万マイル』の監督)です。


アメリカ初の長編映画として1915年に公開された問題作『國民の創生』も人種差別的な描写のメディアを論じる上ではチェックする意義があるといえるでしょう。

おわりに

『南部の唄』を論じることの難しさ、おわかりいただけたでしょうか?


「南部の唄の何が問題なのか、まとめてみました!」といった軽いノリで書き表せない内容であることはなんとなく掴んでいただけたと思います。『南部の唄』の問題をメインに執筆する場合には、様々な意見があることを踏まえて、きっちりカバーして書いていただけたらと思います。


スプラッシュ・マウンテン』の変更騒動を中心に書く上で冒頭に『南部の唄』について少し触れたい場合は、「『南部の唄』は描写に問題があるとされており、ディズニーが自主規制している作品です」といったように当たり障りのない表現で軽くタッチしましょう。当たり障りのない表現というのは、ケチをつけられないようにという意味です。


「『南部の唄』は差別的描写で批判され、ディズニーが1986年以降封印している作品です」だと、「差別的描写はないですよ」「批判って誰が?」「1986年は最後に公開された時であって、厳密に封印したタイミングは不明じゃね?」といったツッコミポイントが発生します。


「『南部の唄』は描写に問題があるとされており、ディズニーが自主規制している作品です」だと、「描写に問題がある」ではなく「描写に問題があるとされている」と記載しているので、断言ではなく伝聞であることが示せます。「誰が問題があるとしているの?」というツッコミにも「少なくともディズニーが自主規制してるんだからディズニーがそう思ってるんでしょう」とカバーできます。つまり解釈次第で言い訳が利く事実を並べた文のほうがケチはつけられにくいと思います。


と、ここまでダメージ回避をテーマにした雑味のあるなテイストでお届けしました。私には『南部の唄』の何が問題なのかを記事にまとめることはできませんし、思考も本文中の③のEさん止まりでその先には進めませんので、今回のような変化球記事となりました。だからこそ、これから直球でこの問題に向き合って記事を書こうという方はすごいと思いますし、応援しています。別に書かないよという人にとっても、この超初級入門が何らかのプラスに働くことを祈っています。


皆さんはこの問題にどう向き合いますか?