~前回のあらすじ~
ミッキーのアニメが完成しました。
1928年5月15日、完成した『プレーン・クレイジー』はさっそくその辺で公開されました。
当時のアニメは無音のサイレントだったので、オルガン奏者の人が映画に合わせてオルガンを弾いて、BGMやら効果音やらを鳴らしていました。
その評判がどうだったかというと、「割と良い感じ」でした。
オズワルドでアニメのノウハウはありましたし、こちらにはアブさんもいますからね。ちなみにここでいうアブさんは北陽のことではありません。天才アブ・アイワークスのことです。どのくらい天才かというと、「101匹わんちゃん」のブチを描きたくないために自らコピー技術を発明するほどの天才です。
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ミッキーから遡ること7ヶ月前…。
『ジャズ・シンガー』という革新的な実写映画が公開されました。長編映画の一部ではあるものの、サイレント映画が主流だった当時としては世界で初めて映像に音がついたトーキー映画だったのです。
「これ、アニメにも使えるな…?」
ウォルトは早速、最新の音響システムを求めてニューヨークの代理店を探しました。ここで敢えて「最新」の設備を捜すところが実にウォルトらしいと思います。
そこでウォルトはパット・パワーズという男と出会います。パワーズは配給会社や映画館へ音響設備を販売する仕事をしており、シネフォンという独立した音響システムを持っていました。
パワーズはウォルトのトーキーマウス計画(仮)に興味を持ち、配給会社の調達まで請け負ってくれました。
メインとなる曲は「わらの中の七面鳥」(いわゆるオクラホマミキサー。)で、カール・ストーリングが編曲(※1)をしました。また、演奏の録音にあたり、ストランド劇場のカール・エドアルドが指揮を申し出てくれました。
※1...「ストーリングは本作だけピンポイントで関わっていなかったのではないか」とする説もあるようです。
当時はアニメを流しながら、効果音、声、オーケストラを同時に録音していました。機材もお金がかかるので、録り直しともなればさらにお金がかかったのです。
そのたびにお金を集めたのがウォルトの8歳年上の兄ロイ。彼は創造力豊かな弟を経営面で支えました。余談ですが、ロイと組む前のウォルトは立ち上げた会社を2回も消滅させています。
今では、東京ディズニーランドにロイ兄貴とミニー姉貴の像がありますので帰り際にでも挨拶に行きましょう。ちなみにホフディランの小宮山さんは入園して最初に行くそうです。ぐっじょぶ。
録音の難しさを実感したスタッフは、
・楽団の規模を小さくする
・フィルムに曲の目印を入れる
という工夫を凝らしました。
こうして完成した『蒸気船ウィリー』ですが、やはりいつの時代も新しいものを買い取る勇気というものはなかなか出ないものであります。
結局、『蒸気船ウィリー』を気に入って上映してくれることになったのはベテラン事業家のライケンバックさんでした。彼はこの決定をする時にウォルトにこう言いました。「君にとっても良いお試し期間になるだろう。」
顔は存じ上げませんが、イケメンのおじさんであることは間違いありませんね。
こうして1928年11月18日、ニューヨークのコロニーシアターで2週間の上映が始まりました。