※この物語は事実をモチーフにしたフィクションです。
1933年、ディズニーはシリー・シンフォニー・シリーズにおいて『三匹の子ぶた』をアニメ化し、『狼なんか怖くない』というキャッチーな楽曲を世に生み出した。
私は街中の公園や映画館のそばで『狼なんか怖くない』を口ずさむ子供たちを見かけた。
そのポップで楽しい曲調が受け容れられたのはもちろん、世界的な恐慌を狼になぞらえて笑い飛ばす歌のような捉え方をした大人たちにも支持されているように思われた。
ウォルトはこれまでアニメーションを縁の下で支えていた音楽にビジネスの可能性があることを見出し、このスタジオ初のヒット曲は音楽会社との楽譜印刷契約を結ばれるに至った。
ユナイテッド・アーティスツは子ぶたのヒットを歓迎し、続編を望んだ。
ウォルトは続編をいくつか作ったが大したヒットには繋がらなかった。
ウォルトは「ブタ以上のものをブタでやれって言ったってそりゃ無理な話だよ。もっと新しいことをしなくちゃ。」と語った。
彼の鋭い眼は既に新しいことを捉えていたのであった。
1933年12月18日には、ウォルトとリリーの間に長女ダイアンが誕生した。
ロス・フェリスの丘に建てられた住宅には、日曜日にウォルトの仕事仲間が家族連れでよく訪れた。
私がダックと出会ったのは『かしこいメンドリ』の音声収録の時だった。
『かしこいメンドリ』とはシリー・シンフォニーの一編で、メンドリがトウモロコシの種蒔きや収穫の手伝いを依頼するも、ブタのピーターとアヒルのドナルドが仮病を使って拒否。
二人の仮病を見抜いたメンドリはヒヨコたちと仕事を済ませてトウモロコシを独り占めし、ピーターとドナルドが後悔するという物語だった。
この作品でデビューしたドナルドダックの声はアヒルそのもので、コンビを組んでいたピーター・ピッグはおろか、主役のメンドリをも圧倒するほど不思議な魅力のあるキャラクターとなっていた。
ウォルトがドナルドの声を演じたクラレンス・ナッシュと出会ったのは、映画を作り始めるさらに一年ほど前のことだった。
ウォルトが作業をしながらラジオに耳を傾けていると、アヒルの声帯模写が聞こえてきたのだという。
その声の主であるナッシュはアドール乳業の従業員であり、小学校を回って乳業についての話をする仕事をしていた。
話の最後にはメスのアヒルの声で『メリーさんの羊』を歌うのが通例だったという。
ウォルトはナッシュとコンタクトを取り、早速彼の達者な芸をどう活かすか考えた。
紆余曲折あり、『かしこいメンドリ』の音声収録当日を迎えた。
私は収録に立ち会い、ウォルトの話していたアヒルそっくりの声を持つ男の登場を心待ちにしていた。
待っていると「ちょっと。ちょっと。」という囁き声が聞こえた。
辺りを見回しても誰もいない。
「ちょいと小さくなってもらえませんか」とその声はさらに続けた。
私はしっぽを掴み、指をパチパチッと鳴らした。
100分の1サイズになった私は、目の前にアヒルがいることにようやく気がついた。
ダック「初めまして。今日はクラレンスがこちらでお世話になります。私は彼のフレンドのダックです。」
マウス「はじめまして。私はマウスです。」
そのアヒルはとても礼儀正しく律儀な性格であった。
ダック「このたびはディズニーさんがクラレンスのためにアヒルのキャラクターを生み出してくださり、至極光栄です。」
ダックはぺこりと頭を下げると、こちらを見上げて「あなたが、あのミッキーマウスのモデルとなったマウスさんですよね」と羨望の眼差しを見せた。
私はミッキーのモデルと言われると悪い気はしなかったが、そのたびに「私はたまたま近くにいただけですし、ミッキーはウォルトたちの功績ですよ」と説明することを忘れなかった。
この日、私が初めて耳にしたドナルドの声はそれはそれは見事なものだった。
録音風景を見たダックは嬉しそうに翼でバタバタ拍手を繰り返し、「すばらしい。すばらしい。」と称賛を送った。
私が褒められているわけでもないのに、ディズニーのアニメをここまで喜ぶ観客を目の当たりにすると私も嬉しく思えた。
ダックは帰り際に「またドナルドが活躍すると嬉しいですねぇ」と言って帰っていった。
私はウォルトに「ドナルドの声の彼、凄かったね」と声を掛けた。
私が「また彼は他の動物を演じるのかい?」とウォルトに尋ねると、ウォルトは「それはまだわからないな」と首をかしげた。
ウォルト「ドナルドにはミッキーとも共演してもらわないといけないからね。」
私がダックと再会できるのもまたすぐのようだ。
<つづく>
登場人物
◆マウス
物語の語り手。
ウォルトとだけ話すことができるネズミのイマジナリー・フレンド。
◆ウォルト・ディズニー
マウスのオーナーで、彼と話せる。
ミッキーマウスの生みの親で、アニメーションに革命を起こす。
◆ダック
マウスの友人である礼儀正しいアヒル。
クラレンス・ナッシュのイマジナリー・フレンド。
◆クラレンス・ナッシュ
動物の声帯模写を得意とする男性。
ドナルドダックの声を演じる。
◆リリアン・ディズニー
ウォルト・ディズニーの妻。
ミッキーマウスの名付け親でもある。
◆ダイアン・ディズニー
ウォルトとリリアンの長女。
史実への招待
『かしこいメンドリ』で脇役としてデビューしたドナルドダック。
彼の人気はいつしかミッキーを上回り、「最も多くの映画に出演したディズニーキャラクターは?」「ドナルドダック」「え~、ミッキーじゃないの?」という定番のクイズを生み出すまでになりました。
ディズニーの顔となり、デビュー当時のいたずら好きな性格が抑えられるようになったミッキーに対し、ドナルドには感情表現がストレートという特徴があります。
短気で怒りっぽいけどいざという時は優しさも見せる人間味溢れるキャラクターとなっています。
ドナルドはプルートよりも比較的早い段階で主演シリーズを与えられ、ガールフレンドのデイジーダックや、先日フィナーレを迎えた『ダックテイルズ』で活躍したいたずら好きな甥のヒューイ、デューイ、ルーイなどの人気者も輩出しました。
テーマパークの設定ではミッキーと仲間たちはトゥーンタウンに暮らしていますが、ドナルドたちダック一族はダックバーグに暮らしているという描写もあります。
2021年3月27日に生誕120周年を迎えたカール・バークスによってダックバーグやドナルドの数多い親戚が生み出され、ダックワールドを非常に奥行きのあるものにしています。
ちなみに、今回のタイトルである『一番やさしいのは誰?』はドナルドに関するある歌詞に基づいています。
どんな曲だか分かりますか?