ディズニー データベース 別館

「ディズニー データベース」(https://w.atwiki.jp/wrtb/)の別館です。日本の誰か一人にでも響けばOKな記事を書いていきます。

ディズニー日本語吹替概論

ディズニー作品の日本語吹替が始まってから約60年。言い回しの変化やキャラクターの声の統一を図るなど様々な理由で、1つの作品の中でも様々な吹替が制作されてきました。そのため、人によって思い入れのあるバージョンが違ったり、バージョン変更にケチをつける人がいたりで、吹替というのは実に奥深い文化なのだと言えましょう。


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『ダンボ』の音声は英語版では1パターンしかないのに、日本語版は4種類も存在する


しかし、子供の頃に親しんだ作品のDVDを購入し、いざワクワク再生してみると「吹替が違う!なんで変えたんだ、ディズニーの○○!」という暴言が後を絶たないこの世界。お気持ちは分からないでもないですが、事前に情報を仕入れておけばそんな思いを防げるかもしれません。

というわけで、こういった外国作品ならではのディズニーの吹替事情やバージョンの変遷、パターンなどをご紹介していきましょう。ややこしい点もありますが、これさえ押さえておけばディズニーの吹替事情は大体わかっていただけるでしょう。

一部表記は『ディズニー データベース』本館に準拠しておりますので、こちらも併せてよろしくお願いします。

初公開版

日本最初のディズニー吹替は長編アニメーション第4作となる『ダンボ』(1941年:日本では1954年)でした。当時はまだアニメも普及しておらず声優という職業がもほぼ定着していなかったため、俳優が起用されていました。落語家が多く起用されているのもこの時代の特徴です。

おすピーの2人によると「わんわん物語の頃からディズニーのアメリカのスタッフがラジオを聞いて決めてたのよ。永六輔とか馬風とかね」とのこと。この2人が参加したわんわん物語は1956年に日本公開されているので、本国スタッフによるキャスティングは最初の頃から行われていたことが分かります。

なお、これらの作品の多くは1980年以降に新録が行われているため、現在の視聴は不可能(=絶滅)となっています。

以下、初公開版の吹替(=現在DVDに収録されていないバージョン)が存在する初期の作品です。(日本初公開時が英語のみ→再公開時に吹替が初登場した場合も“初公開版”として扱います。)

本国公開 日本公開 備考
ダンボ 1941年 1954年 絶滅
わんわん物語 1955年 1956年 絶滅
バンビ 1942年 1957年 絶滅
白雪姫 1937年 1957年 絶滅
ピノキオ 1940年 1958年 絶滅
眠れる森の美女 1959年 1960年 旧VHSに収録
シンデレラ 1950年 1961年 絶滅
101匹わんちゃん] 1961年 1962年 絶滅
王様の剣 1963年 1964年 ※絶滅
ジャングル・ブック 1967年 1968年 絶滅
おしゃれキャット 1970年 1972年 現ソフトに収録
ふしぎの国のアリス 1951年 1973年 絶滅
ロビン・フッド 1973年 1975年 現ソフトに収録
ビアンカの大冒険 1977年 1981年 絶滅
リトル・マーメイド 1989年 1991年 旧VHSに収録

TV版

テレビで洋画を放送する際、局によって別バージョンの吹替が放送されるケースがあります。現在は米ディズニーが世界中のキャラクターの声のイメージを統一するために厳しく監修しているので、ディズニーアニメで複数バージョンの吹替を制作することはありません。

地上波放映版

しかし、1980年代まではその意識が希薄だっためか、テレビ局によって独自に新たな吹替が制作された非常にレアなパターンが存在しました。まだ規制が緩かった頃、TV用の新録を実現したのはTBS。今では映画放送のイメージが薄いチャンネルですが、吹替ファンの間では『グーニーズ』や屋良版『コマンドー』などで知られるTV局であります。

ディズニーの長編アニメとしては『ピーター・パン』(ピーター・パン:榊原郁恵、フック船長:大塚周夫)、『ダンボ』(ティモシー:井上順)、『ふしぎの国のアリス』(アリス:キャロライン洋子、ハートの女王:ペギー葉山)、『ファン・アンド・ファンシー・フリー』(ジミニー・クリケット熊倉一雄)の4作品が確認されています。

他にも、当時吹替が存在していなかったミッキーたちの短編アニメを新録して放送した、日本テレビの『ミッキーマウスとドナルドダック』(ミッキー:山田栄子、ドナルド:緒方賢一)などがあります。

TVシリーズにはなりますが、テレビ東京での初放送時に独自キャストでの吹替を制作し、後にWOWOW放送時に現行キャストで全話新録し直した番組(『わんぱくダック夢冒険』『チップとデールの大作戦 レスキュー・レンジャーズ』)も存在します。

WOWOW版、ディズニー・チャンネル版

これまで吹替が制作されなかった作品(または公式が認めた吹替が存在しない作品)をWOWOWやディズニー・チャンネルで放送する際、吹替を新録するケースがあります。これらは公式が関与しているため、ミッキーやプーなど既存のキャラクターが出演する作品であれば現行のキャストが採用されます。(大体の作品は『ディズニー データベース』でも後述の新版として扱っています)

ただし、『くまのプーさん 完全保存版』などWOWOW版が決定版として採用されなかった非常にレアなケースも存在します。

旧版(旧VHS版)

初期のディズニーのビデオを扱っていたポニーキャニオンバンダイによって販売された吹替があります。いわゆるポニー版・バンダイ版(当サイトでは旧版と表記)であり、世間一般に旧吹替といえばこの時期のものを指すことが多いようです。劇団昴の俳優が多く起用されているといった特徴があります。また、短編映画にはオリジナルのナレーションがついていたり、原語に捉われない邦訳などから人気が高いシリーズとなっています。

現在、ディズニー・ジャパン自らがDVDを販売する体制になったため、非公式となったこれらの旧版は絶滅していきますが、『ダンボ』『ふしぎの国のアリス』『王様の剣』などの作品は新版に流用され、現在でもこの吹替が公式に使われています。※当サイトでは旧・新版と表記。

再公開版

すでに吹替が存在する作品でも劇場再公開時に、新たなバージョンが作られることがあります。

現在確認できているのは、1980年版『白雪姫』(白雪姫:小鳩くるみ)、1981年版『101匹わんちゃん』(ポンゴ:池水通洋)、1983年版『ダンボ』(ティモシー:三田松五郎)、1984年版『ピーター・パン』(ピーター・パン:岩田光央)、1989年版『わんわん物語』(レディ:藤田淑子)、1992年版『シンデレラ』(シンデレラ:鈴木より子)、1995年版『眠れる森の美女』(オーロラ姫:すずきまゆみ)の7作品で、『ダンボ』以外は現行のDVDに収録されています。

1997年版『リトル・マーメイド』のように、初公開版の音源の歌のみ同じキャストによる新録で差し替えを行った珍しいバージョンもあります。

新版

1990年代以降、東京ディズニーランドによるディズニーの普及や、ビデオをディズニー・ジャパンが販売するようになったことにより、日本語版声優の統一を図るべく、既に吹替が存在するでも、ビデオ用やCS放送用に吹替が作り直されることになりました。

2019年現在、DVDやブルーレイに収録されているものはほとんどがこのバージョン(または再公開版)であり、当サイトでは新版と表記しています。

備考
バンビ VHS用に新録
三人の騎士 VHS用に新録
ファン・アンド・ファンシー・フリー WOWOW用に新録
メロディ・タイム ディズニー・チャンネル用に新録(DVD収録)
イカボードとトード氏 ディズニー・チャンネル用に新録
ジャングル・ブック VHS用に新録
くまのプーさん 完全保存版 VHS用に新録
ビアンカの大冒険 VHS/DVD用に新録

※実はVHS発売よりも先に劇場公開されている可能性もあります。

ただ、新版の際に全編新録が行われなかった例があります。前述のとおり、旧版の『ダンボ』『ふしぎの国のアリス』『王様の剣』の3本です。

新版(DVD版)

時代の流れにより、ビデオで使われた表現が教育上好ましくないと判断され、DVD発売の際に一部台詞を録り直すケースがありました。『ふしぎの国のアリス』『ピーター・パン』などが有名です。例えば、「いかれてる」が「へんてこ」、「酋長」が「チーフ」に変更といった具合で、あまりに歌の場合は一曲まるごと録り直すような場合もあります。

また、ある演者の不祥事により一部のキャラクターの声優だけがまるごと変更されるという稀有なケースもあります。『アラジン』『アラジン ジャファーの逆襲』『アナと雪の女王』『アナと雪の女王 エルサのサプライズ』『アナと雪の女王 家族の思い出』『LEGO アナと雪の女王 オーロラの輝き』が挙げられます。

追加録音

ソフト化や再公開の際に、音声の欠落部分および追加シーンの追加録音が施されるケースがある。

備考
おしゃれキャット VHS発売時、1972年初公開時の音源に一部追録&差し替え
ピノキオ VHS発売時、1983年再公開版の音源に一部差し替え
美女と野獣 2002年IMAX公開時、劇場公開版の音源に一部追録
ライオン・キング 2002年IMAX公開時、劇場公開版の音源に一部追録

パブリック・ドメイン

100円ショップなどでディズニーのDVDが発売されていることがありますが、これは著作権が切れた映画に独自に吹替を付けて販売しているものとなります。これを買って「昔の吹替と違う!」と文句をつけるのはご法度なのですが、Amazonのレビューなどでは同じ映画を収録していれば公式だろうと非公式だろうとすべてまとめて表示されてしまうので、買う前にきちんとチェックしましょう。こちらに関しては当サイトでは基本ノータッチとしています。

おわりに

以上が、アニメにおけるディズニー吹替のほぼ全パターンとなります。やや古めの実写映画も含めると機内上映版やオンデマンド配信版などさらに限定的なバージョンも存在します。

これだけ長い歴史があるのですから、同じ『ダンボ』好きでも思い入れのあるバージョンが違うのは当然です。実際、ネットでは「リトル・マーメイドの歌詞は前のほうが良い」みたいな意見をよく見かけます。好きなものを好きと愛でるのは大変良いことですが、好みは人それぞれですのでお気に召さないバージョンを大声で攻撃しないようにしましょう。


それでは、楽しい吹替ライフを!


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※この記事は2012年8月15日に『ディズニー データベース』本館に投稿した記事を再構成したものです。
※TORIさん(https://twitter.com/TORI198674)より、『シンデレラ』現行吹替版の初出がVHSではなく劇場再公開とのご指摘をいただきましたので、修正いたしました。この場を借りて御礼申し上げます。

ディズニーに学ぶハロウィンの起源

みなさん、こんばんは。もうすぐハロウィンですね。皆さんはハロウィン派ですか、ハロウィーン派ですか?


さて、ディズニーでハロウィンといえば、東京ディズニーリゾートスペシャルイベント「ディズニー・ハロウィーン」かと思います。こっちはハロウィーンなんですね。このスペシャルイベントももうすぐ終了ということで、巷では様々な攻略情報等々が飛び交っていることかと思います。しかし、当サイトではいつもの地味なテイストで行きたいと思います。


当ブログの「ディズニーを通して知見を広げる」という謎のキャッチフレーズに伴いまして、今回は意外と答えられないハロウィンの基礎知識を固めていきたいと思います。習得できた暁には、来年のディズニー・ハロウィーンでお連れ様に自慢していただけたらと思います。

ハロウィンの起源

ハロウィンは、古代ケルト民族の大晦日にあたるサウィン祭が起源だといわれています。ケルト民族とは、中央アジアの草原から馬と馬車を伴ってヨーロッパに移住した民族。10世紀のケルト人たちの王国を描いた映画が『メリダとおそろしの森』です。


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ピクサースコットランド代表メリダ選手


この日は、先祖の霊が家族に会いに戻ってくるとされていました。この点は『リメンバー・ミー』に登場する死者の日に通じるところがありますね。なお、死者の日はメキシコなどラテン・アメリカの祝日で、11月2日です。日付も内容も似ていますが、ハロウィンとは別物のようです。


ちなみに、このハロウィンの夜には先祖だけでなく悪霊も一緒にやって来て、悪いことをするので、悪霊を驚かせるために人々は恐ろしい仮装をしました。これがハロウィンの仮装の起源だと言われています。ハロウィンの仮装がオバケだったりドラキュラだったり恐ろしいものなのはこういう理由によるものだそうです。でも悪霊にオバケの仮装は有効なのだろうか。

トリック・オア・トリート

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三つ子たちは魔法使い、悪魔、オバケに仮装


ハロウィンのイベントと言えば、子供たちが仮装をして近所の家を練り歩くあの光景です。「トリック・オア・トリート(お菓子をくれなきゃいたずらするぞ)」という脅迫めいた文言を武器に、近所からお菓子をもらって歩き回ります。ちなみに、子供の訪問を歓迎している家は玄関の明かりがついている家だそうで、明かりがついていない家はこのイベントに興味がありませんという意思表示なんだとか。なお、お菓子にも悪霊を追い払う効果があるそうです。


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甥っ子をからかうドナルドの家の玄関にはちゃんと明かりが


このトリック・オア・トリートは子供がやるイメージですが、「やっていいのは小学生まで」「中学生まで」など、人によってそのイメージは異なるようです。ハロウィン当日を描いた実写映画『ホーカス ポーカス』でも高校生のマックスが、小学生の妹のトリック・オア・トリートに付き添わされ、近所の不良にからかわれるのを嫌がるシーンがあります。


イムリーなところでは、一昨日のニュースでバージニア州チェサピーク市が「トリック・オア・トリートは14歳まで。15歳以上に対しては罰金250ドルを課す」といった条例を発表し、注目を集めました。2016年にはカナダのニューブランズウィック州バサーストでも同様の条例を発表しました。元々高齢者の多いこの町では、「そんな条例を出したらますます若い人が住まなくなる」といった批判を出しています。

ジャック・オ・ランタン

ハロウィンのシンボルといえば、目、口、鼻をくり抜いて作るかぼちゃのランタン「ジャック・オ・ランタン」。昔、悪いことばかりしていた鍛冶屋のジャックが天国にも地獄にも行けなくなったため、ランタンに火を灯して彷徨い続けたという逸話がモデルになっています。この亡霊は鬼火伝承のひとつ「ウィル・オ・ウィスプ」とも直結しており、この「ウィル・オ・ウィスプ」が登場するのが、やっぱり『メリダとおそろしの森』というわけです。


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ウィル・オ・ウィスプ feat. メリダ


ハロウィンのジャックといえば、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の主人公ジャック・スケリントンを思い浮かべる人も多いかと思います。ジャックはパンプキン・キングとして知られており、映画の序盤では、かぼちゃのランタンの頭を持った姿で登場します。これはなぜかというと、ジャック・オ・ランタンはしばしばかぼちゃの首を持つ男として描かれるため、ジャック・スケリントンがそれをオマージュした姿で登場しているというわけです。


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映画序盤のパンプキン・キング


イカボードとトード氏』に登場する首なし騎士もかぼちゃの頭のイメージがあるキャラクターのひとりです。これもジャック・オ・ランタンの影響を色濃く受けていると言えるでしょう。


ディズニーの作品にはハロウィンに関係するエピソードが非常にたくさんあります。物語を楽しむだけでなく、その文化の背景や歴史に目を向けてみると、また新たな発見ができるかもしれませんね。


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『シリー・シンフォニー』(3)アニメ初のアカデミー賞

世界で初めてアカデミー賞を受賞したアニメーションは何でしょう?


1932年、ディズニーはまた新たな試みに挑戦します。『花と木』というモノクロのアニメを作っていた時、彼らはちょうどテクニカラーの技術を学んでいました。この技術をアニメーションで契約を結んだことで、ウォルトは兄のロイに『花と木』をカラーで作り直すと宣言しました。


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「え、マジで……?」


カラーの予算はモノクロの3倍。ロイはまたもや資金集めに奔走するのでした。彼のことは親しみを込めて「資金集めのロイ」とでも呼んであげてください。


さて、それまでのカラー映画というと、キネマカラー(シネカラー)が一般的でした。赤と緑のフィルムを交互に高速表示してチカチカ見せることによって、カラーに見えるという目の錯覚を利用したものでした。この技術は1909年から使われましたが、上映設備や戦争の影響でわずか5年で消えていってしまったのです。


一方、ディズニーの学んでいたテクニカラーという技術は3原色を用いたカラーでした。赤、緑、青の三色を組み合わせて作る綺麗なカラーのことで、ディズニーはこれを3年間独占して使う契約を結んでいました。


アブ・アイワークスをはじめとするライバル達はキネマカラー、つまり2原色のカラーしか使えませんでした。テクニカラーとキネマカラーの最大の違いは3原色のうち、青が綺麗に出せるかといったところでした。


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見よ、これがテクニカラーの”青”だ!


このテクニカラーが実写映画に広く採用されるようになったきっかけがMGMの「オズの魔法使」(1939年)なのですが、それはまた別のお話なのであります。


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テクニカラー様様のマンチキンのシーン


世界初のトーキーアニメーションに続いて、またもや世界初であるカラーアニメーションをディズニーは実現してしまったのでした。ちなみに1932年の第5回アカデミー賞は、初めてアカデミー短編アニメ映画賞が新設された年でした。アニメ史上初のアカデミー賞はディズニーの『花と木』だったわけです。


『花と木』は、若い木のカップルの物語。二人の様子が気に食わない年老いた嫌われ者の木は火をおこして妨害しようとしますが、それによって自滅してしまいます。最終的には花や森たちの消火活動のおかげで無事にハッピーエンドを迎えます。花や木たちがその特性を活かしたリアクションや、結婚行進曲のメロディを奏でるシーン、そして火を消した雨上がりに虹が架かるシーンなど初期のディズニークラシックらしいセンスが光る一作です。音楽とアニメーションの面白さに鮮やかな色が加わり、ディズニーのアニメーション映画はさらなる魅力を増したのでした。


そんなシリー・シンフォニーはスタッフの教育の場であり、新しい技術実験の場でもあったのですが、いくつもの高い評価を得る作品も制作し、アカデミー短編アニメ映画賞を6回も受賞しました。あのミッキーさんやドナルドさんですら1回しか成し得なかった偉業であることを踏まえると、その評価の高さが窺えることでしょう。


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『シリー・シンフォニー』(2)新たな出発点『骸骨の踊り』

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骸骨の踊り


『骸骨の踊り』は、深夜の墓地を舞台に骸骨たちがグリーグ作曲の「小人の行進」に合わせて踊るというホラー風の作品。


音楽とアニメーションの融合はミッキーで経験済みでしたが、ウォルトの完璧主義はここでも遺憾無く発揮され、納得いくまで録り直しが行われました。


教会や墓地が映し出され、怪しげなフクロウや黒猫たちの様子が描かれます。そこへ墓地から4体のガイコツが登場し、踊り始めます。ガイコツたちはお互いの骨の身体を木琴のように使って演奏したり、陽気に動き回ります。やがて朝が来て…。


こうして作り上げた『骸骨の踊り』。しかし、『蒸気船ウィリー』の公開時に後押しをしてくれたパット・パワーズの反応は...。


「ガイコツはいいから、ネズミをもっと作ってくれ」


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ショックのあまり崩れ落ちるガイコツたち


なんという悲しいお言葉でしょう。パワーズにとっては売り物になるかがすべて。ガイコツは要らない子呼ばわりされてしまったのです。


さて、『骸骨の踊り』がどれほどスベったかというとそんなことはありませんでした。ミッキーほどのヒットにはならなくとも、ミッキーに関心を持たなかったような層にも幅広くトーキーアニメの面白さを感じてもらえる機会となりました。


その後もアブ・アイワークスは精力的に『シリー・シンフォニー』を制作しますが、方向性の違いからウォルトと摩擦を生じるようになっていました。ウォルトはアニメをより良くするため、ミッキーで得た収益のほとんどをシリー・シンフォニーに費やしていました。そのため、スタッフの賃金も決して良いものではありませんでした。


そして、1930年1月。ウォルトの兄ロイはパワーズが怪しいと睨み始め、ウォルトに「契約内容をハッキリさせるべき」と提案しました。


どこかで聞いたような展開ですが、案の定パワーズはディズニーのスタジオとアニメーターを乗っ取ろうとしていました。ただし前回と違うのは、アブも引き抜こうとしていたこと。パワーズはディズニー作品の質の秘訣は作画担当のアブだと思っており、低賃金のアブにとっても美味しい話でした。


ウォルトはパワーズの条件に乗ってもスタジオの儲けがほとんど無いと判断したため、約10万ドルの手切れ金を支払い、パワーズとアブに別れを告げました。アブは新しいスタジオを作ってアニメ制作を続けますが、大したヒットはせず、ウォルトのアイデアマンとしての実力を思い知ることとなったのです。


一方、ディズニーは配給をコロンビア・ピクチャーズに変更して1930年から1932年までアニメ制作を行いましたが、大きなヒットには繋がりませんでした。コロンビアに契約内容の変更を頼むも失敗。ウォルトとロイは配給会社をユナイテッド・アーティスツに変更し、ここから新たな挑戦に臨むこととなるのです。

『シリー・シンフォニー』(1)90周年なので真面目に祝う

こんにちは。最初に数行ほど自己紹介から。


私事ではありますが、本日を持ちまして「ディズニーデータベース」(https://w.atwiki.jp/wrtb/)は開設10周年を迎えました。今後の目標は自己満足+ちょっと役に立つレベルを目指していけたらと思います。皆さんがマイナーなディズニー用語を検索した時に検索結果にちょこっと顔を出すことがありますので、その際はよろしくお願いします。(メジャーな単語だと多分出てきません)


さて、雑談はこの辺にして、10周年記念記事として、「シリー・シンフォニー」の概要についてご案内していきたいと思います。


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ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーにある「ミッキーマウス」と「シリー・シンフォニー」の看板


というのも、「シリー・シンフォニー」はちょうど4週間前に、90周年を迎えた節目の年であるからです。また、ちょうど先日ミッキー誕生の歴史を紹介したところなので時期的にもバッチリです。


というわけで、前提知識として以下の記事をチェックしておくのがおすすめです。(宣伝)


disneydb23.hatenablog.com

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さて、アニメと音楽の融合という一大センセーションを巻き起こした『蒸気船ウィリー』。配給のパット・パワーズや音楽のカール・ストーリングの協力でミッキーはデビュー作にして大ヒットを収めました。


さて、『蒸気船ウィリー』の前にサイレントで制作したミッキー映画も存在したことを覚えていらっしゃるかと思いますが、この『プレーン・クレイジー』や『ギャロッピン・ガウチョ』もトーキーに作り直されました。


その後、作られたミッキーの新作はどれももちろんトーキーでした。観客は音楽に合わせて動くいたずらミッキーに喜び、大いに笑いました。


しかし、ミッキーのキャラクターとストーリーを重視したいウォルトと、音楽を重視したい音楽担当のカール・ストーリングの間で意見が割れ始めました。


「では、ミッキーのシリーズと音楽のシリーズを分けよう」


こうして、音楽をメインに据えた新シリーズ『シリー・シンフォニー』が誕生したのです。


『シリー・シンフォニー』では、ミッキーやミニーといった既存のキャラクターに捉われることなく、単発作品としてより自由な発想で作品を手掛けることができました。ウォルトはこちらのシリーズを利用してアニメの新たな技法を実験したり、アニメーターの育成の場として活用しました。(短編映画で技術を培ったり若手を育成する手法は、現在のディズニーやピクサーでも生き続けているやり方です)


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風車小屋のシンフォニー


『風車小屋のシンフォニー』では、遠近法を表現する設備「マルチプレーン・カメラ」を導入しました。カメラが動くと近くのものは速く、遠くのものはゆっくり動きますよね。マルチプレーン・カメラとはそれを実現した技術であり、アカデミー短編アニメ賞を受賞しています。


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春の女神


また、『春の女神』という作品では人間の女性の姿をしたキャラクターが登場します。これは、3年後に公開される『白雪姫』に向けて、人間の女性を描く訓練の一環だったのです。


さて、そんなシリーズの第1作となる『骸骨の踊り』が公開されたのは、1929年8月。ミッキーで成功を収めてから9ヶ月後のことでした。

『蒸気船ウィリー』を真面目に紹介する(3)ミッキーの逆襲

「座席から転げ落ちそうになった」


ある記者はこう書いたそうです。


世界初のトーキー・アニメーションとなった『蒸気船ウィリー』は『プレーン・クレイジー』の時には得られなかったような高評価を獲得しました。今まではなかったのに、アニメーションが音楽や音に合わせて動いているのですから、驚くのも無理はなかったことでしょう。


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したり顔のミッキーさん


船員のミッキーは船長気取りで舵を取っていたところ、本物の船長ピートに怒られてしまいます。


ミッキーは途中で立ち寄った桟橋で雌牛を回収します。蒸気船が出発すると、バイオリンを持ったミニーが登場して船を追いかけます。ミッキーは船についていた釣り竿で見事ミニーのパンツを掴み、彼女を船に招待します。


ミニーの楽譜と楽器はヤギに食べられてしまいますが、そのおかげでヤギはオルゴールになります。ミッキーは船内の道具や動物を使ってセッションを始めます。今でもおなじみのミッキーのエンターテイナーっぷりはこの時から健在でした。


近年のお行儀よいミッキーに慣れている人が驚くのは、ネコの尻尾を引っ張って鳴き声で演奏したり、アヒルバグパイプにしたり、動物を使って演奏するところでしょう。


母親の乳を飲む子ブタたちの尻尾を引っ張って演奏するという荒業まで披露します。その後、母ブタを持ち上げ、最後まで離れなかった子ブタに蹴りをカマスという衝撃的なシーンも。ちなみにこの蹴りのシーンの6秒間は現在のバージョンからは削除されているため、一部の旧ソフトにしか収録されていません。


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子ブタに蹴りをかますミッキー先輩


最終的にピート船長に見つかり、怒られてイモの皮むきをさせられてしまうのもまたご愛嬌です。



さて、当時の短編アニメは併映だったので、長編映画の前に上映されていました。この作品の大好評により、観客からは「メインの長編を遅らせてでももう一回見たい」という声が挙がるほどでした。そして見向きもしなかった映画会社たちはハイエナのごとくミッキーにアプローチしてきました。


「毎週ギャラを出すからウチでミッキーを作らないか?」
「ミッキーの作品を高く買い取りたい」


しかし、ウォルトはミッキーに関しては独立を貫きました。それは、オズワルドの辛い経験があったから。そういえば、第1回で「二度と人の下でなんか働くもんか。」とキレていましたね。


こうして、ディズニーは世界最大のエンターテイメント企業となるべく、『蒸気船ウィリー』で幕を開けたのです。


さぁ、私たちも明日に向かって歩き出しましょう。そんな明日は平日だ。


完。


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『蒸気船ウィリー』を真面目に紹介する(2)ミッキーの作戦

~前回のあらすじ~
ミッキーのアニメが完成しました。


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プレーン・クレイジー


1928年5月15日、完成した『プレーン・クレイジー』はさっそくその辺で公開されました。


当時のアニメは無音のサイレントだったので、オルガン奏者の人が映画に合わせてオルガンを弾いて、BGMやら効果音やらを鳴らしていました。


その評判がどうだったかというと、「割と良い感じ」でした。


オズワルドでアニメのノウハウはありましたし、こちらにはアブさんもいますからね。ちなみにここでいうアブさんは北陽のことではありません。天才アブ・アイワークスのことです。どのくらい天才かというと、「101匹わんちゃん」のブチを描きたくないために自らコピー技術を発明するほどの天才です。



ミッキーから遡ること7ヶ月前…。


ジャズ・シンガー』という革新的な実写映画が公開されました。長編映画の一部ではあるものの、サイレント映画が主流だった当時としては世界で初めて映像に音がついたトーキー映画だったのです。


「これ、アニメにも使えるな…?」


ウォルトは早速、最新の音響システムを求めてニューヨークの代理店を探しました。ここで敢えて「最新」の設備を捜すところが実にウォルトらしいと思います。


そこでウォルトはパット・パワーズという男と出会います。パワーズは配給会社や映画館へ音響設備を販売する仕事をしており、シネフォンという独立した音響システムを持っていました。


パワーズはウォルトのトーキーマウス計画(仮)に興味を持ち、配給会社の調達まで請け負ってくれました。


メインとなる曲は「わらの中の七面鳥」(いわゆるオクラホマミキサー。)で、カール・ストーリングが編曲(※1)をしました。また、演奏の録音にあたり、ストランド劇場のカール・エドアルドが指揮を申し出てくれました。


※1...「ストーリングは本作だけピンポイントで関わっていなかったのではないか」とする説もあるようです。


当時はアニメを流しながら、効果音、声、オーケストラを同時に録音していました。機材もお金がかかるので、録り直しともなればさらにお金がかかったのです。


そのたびにお金を集めたのがウォルトの8歳年上の兄ロイ。彼は創造力豊かな弟を経営面で支えました。余談ですが、ロイと組む前のウォルトは立ち上げた会社を2回も消滅させています。


今では、東京ディズニーランドにロイ兄貴とミニー姉貴の像がありますので帰り際にでも挨拶に行きましょう。ちなみにホフディランの小宮山さんは入園して最初に行くそうです。ぐっじょぶ。


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ロイ&ミニー


録音の難しさを実感したスタッフは、


・楽団の規模を小さくする
・フィルムに曲の目印を入れる


という工夫を凝らしました。


こうして完成した『蒸気船ウィリー』ですが、やはりいつの時代も新しいものを買い取る勇気というものはなかなか出ないものであります。


結局、『蒸気船ウィリー』を気に入って上映してくれることになったのはベテラン事業家のライケンバックさんでした。彼はこの決定をする時にウォルトにこう言いました。「君にとっても良いお試し期間になるだろう。」


顔は存じ上げませんが、イケメンのおじさんであることは間違いありませんね。


こうして1928年11月18日、ニューヨークのコロニーシアターで2週間の上映が始まりました。

『蒸気船ウィリー』を真面目に紹介する(1)ミッキーの誕生

ご訪問ありがとうございます!


このたび、「ディズニー データベース」は開設10周年を迎えるにあたり、こちらの「別館」を開設する運びとなりました。


本来、本館のほうで客観的にデータを集めるのがメインであるため、映画のレビューなどをするタイプではないのですが、作品を紹介してレビューと名乗ればそれっぽく見えるだろうということでお話ししていこうと思います。


しかしながら、ディズニーの名作はネット上で素晴らしきレビュアーの方々に語り尽くされていますから、その裏側だったり独自の切り口だったり語られにくい作品だったりについて触れていこうと思います。ちなみに不定期だよ!


とは言いつつ、初回は緊張気味に。


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蒸気船ウィリー


『蒸気船ウィリー』


ミッキーの原点ともいうべき本作について真面目にご紹介していきたいと思います。


ミッキーのデビュー作にして、世界初のトーキー・アニメーション(音楽や声のついたアニメのこと)として大ヒットしました。まさに歴史的な作品です。


歴史というものは線で繋がっているので(←by 世界史がダメな人)、作品のルーツを辿るとウォルト・ディズニーの誕生以前に遡ってしまうわけですが、そこはバッサリ。必要な前提知識は…

  1. ウォルトさんは「ウサギのオズワルド」というキャラクターをつくった
  2. 友人のアブさんがオズワルドのアニメを作りまくった
  3. 配給会社にオズワルドの権利と従業員をだまし取られた
  4. ウォルトさん、「二度と人の下でなんか働くもんか」とマジギレ

以上の4点でOKです。なんだか行ける気がしてきましたね!


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オズワルド


さて、今でこそ知名度を上げてきたオズワルドさんですが、従業員もろともユニバーサル社に引き抜かれてしまいます。


ウォルトは「そんなにオズワルドがいいのか?私ならもっと面白いものを作れるぞ!」と虚勢を張ってはみたものの、駅に迎えに来た友人のアブさんに「なんか元気なくない?」と勘づかれてしまいます。


ちなみにここでいうアブさんとは水島新司先生のことではなく、アブ・アイワークスという天才アニメーターのことです。どのくらい天才かというと、彼は半年かかるアニメ制作をわずか二週間でやってのける天才です。


ウォルトとアブは「オズワルドの耳を丸くして鼻と尻尾を伸ばせばネズミっぽくないっすか?」みたいなノリでミッキーを作りました。オズワルドは既に他社のもの、今やれば確実にアウトです。


ちなみにウォルトはミッキーの名前をモーティマーにしようとしていましたが、奥さんに「それじゃ覚えにくいわ(訳:変だからミッキーにしなさい)」と言われてミッキーにしたそうです。ちなみにこれは超有名エピソードなので試験にも出ます。


しかし、ウォルトは契約のためにオズワルドをあと3話作らなければなりませんでした。


ウォルト「早くミッキー作りたい」
アブ「じゃあオズワルド作りながら作るよ」
ウォルト「えっ」


こうして天才アブの大胆な内職によって第1作『プレーン・クレイジー』は完成したのです。


…というわけで前置きが長くなったので、三連休にちなんで3日に分けてお送りします。お仕事の方々、行ってらっしゃい!


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