ディズニー データベース 別館

「ディズニー データベース」(https://w.atwiki.jp/wrtb/)の別館です。日本の誰か一人にでも響けばOKな記事を書いていきます。

『シリー・シンフォニー』(1)90周年なので真面目に祝う

こんにちは。最初に数行ほど自己紹介から。


私事ではありますが、本日を持ちまして「ディズニーデータベース」(https://w.atwiki.jp/wrtb/)は開設10周年を迎えました。今後の目標は自己満足+ちょっと役に立つレベルを目指していけたらと思います。皆さんがマイナーなディズニー用語を検索した時に検索結果にちょこっと顔を出すことがありますので、その際はよろしくお願いします。(メジャーな単語だと多分出てきません)


さて、雑談はこの辺にして、10周年記念記事として、「シリー・シンフォニー」の概要についてご案内していきたいと思います。


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ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーにある「ミッキーマウス」と「シリー・シンフォニー」の看板


というのも、「シリー・シンフォニー」はちょうど4週間前に、90周年を迎えた節目の年であるからです。また、ちょうど先日ミッキー誕生の歴史を紹介したところなので時期的にもバッチリです。


というわけで、前提知識として以下の記事をチェックしておくのがおすすめです。(宣伝)


disneydb23.hatenablog.com

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さて、アニメと音楽の融合という一大センセーションを巻き起こした『蒸気船ウィリー』。配給のパット・パワーズや音楽のカール・ストーリングの協力でミッキーはデビュー作にして大ヒットを収めました。


さて、『蒸気船ウィリー』の前にサイレントで制作したミッキー映画も存在したことを覚えていらっしゃるかと思いますが、この『プレーン・クレイジー』や『ギャロッピン・ガウチョ』もトーキーに作り直されました。


その後、作られたミッキーの新作はどれももちろんトーキーでした。観客は音楽に合わせて動くいたずらミッキーに喜び、大いに笑いました。


しかし、ミッキーのキャラクターとストーリーを重視したいウォルトと、音楽を重視したい音楽担当のカール・ストーリングの間で意見が割れ始めました。


「では、ミッキーのシリーズと音楽のシリーズを分けよう」


こうして、音楽をメインに据えた新シリーズ『シリー・シンフォニー』が誕生したのです。


『シリー・シンフォニー』では、ミッキーやミニーといった既存のキャラクターに捉われることなく、単発作品としてより自由な発想で作品を手掛けることができました。ウォルトはこちらのシリーズを利用してアニメの新たな技法を実験したり、アニメーターの育成の場として活用しました。(短編映画で技術を培ったり若手を育成する手法は、現在のディズニーやピクサーでも生き続けているやり方です)


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風車小屋のシンフォニー


『風車小屋のシンフォニー』では、遠近法を表現する設備「マルチプレーン・カメラ」を導入しました。カメラが動くと近くのものは速く、遠くのものはゆっくり動きますよね。マルチプレーン・カメラとはそれを実現した技術であり、アカデミー短編アニメ賞を受賞しています。


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春の女神


また、『春の女神』という作品では人間の女性の姿をしたキャラクターが登場します。これは、3年後に公開される『白雪姫』に向けて、人間の女性を描く訓練の一環だったのです。


さて、そんなシリーズの第1作となる『骸骨の踊り』が公開されたのは、1929年8月。ミッキーで成功を収めてから9ヶ月後のことでした。

『蒸気船ウィリー』を真面目に紹介する(3)ミッキーの逆襲

「座席から転げ落ちそうになった」


ある記者はこう書いたそうです。


世界初のトーキー・アニメーションとなった『蒸気船ウィリー』は『プレーン・クレイジー』の時には得られなかったような高評価を獲得しました。今まではなかったのに、アニメーションが音楽や音に合わせて動いているのですから、驚くのも無理はなかったことでしょう。


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したり顔のミッキーさん


船員のミッキーは船長気取りで舵を取っていたところ、本物の船長ピートに怒られてしまいます。


ミッキーは途中で立ち寄った桟橋で雌牛を回収します。蒸気船が出発すると、バイオリンを持ったミニーが登場して船を追いかけます。ミッキーは船についていた釣り竿で見事ミニーのパンツを掴み、彼女を船に招待します。


ミニーの楽譜と楽器はヤギに食べられてしまいますが、そのおかげでヤギはオルゴールになります。ミッキーは船内の道具や動物を使ってセッションを始めます。今でもおなじみのミッキーのエンターテイナーっぷりはこの時から健在でした。


近年のお行儀よいミッキーに慣れている人が驚くのは、ネコの尻尾を引っ張って鳴き声で演奏したり、アヒルバグパイプにしたり、動物を使って演奏するところでしょう。


母親の乳を飲む子ブタたちの尻尾を引っ張って演奏するという荒業まで披露します。その後、母ブタを持ち上げ、最後まで離れなかった子ブタに蹴りをカマスという衝撃的なシーンも。ちなみにこの蹴りのシーンの6秒間は現在のバージョンからは削除されているため、一部の旧ソフトにしか収録されていません。


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子ブタに蹴りをかますミッキー先輩


最終的にピート船長に見つかり、怒られてイモの皮むきをさせられてしまうのもまたご愛嬌です。



さて、当時の短編アニメは併映だったので、長編映画の前に上映されていました。この作品の大好評により、観客からは「メインの長編を遅らせてでももう一回見たい」という声が挙がるほどでした。そして見向きもしなかった映画会社たちはハイエナのごとくミッキーにアプローチしてきました。


「毎週ギャラを出すからウチでミッキーを作らないか?」
「ミッキーの作品を高く買い取りたい」


しかし、ウォルトはミッキーに関しては独立を貫きました。それは、オズワルドの辛い経験があったから。そういえば、第1回で「二度と人の下でなんか働くもんか。」とキレていましたね。


こうして、ディズニーは世界最大のエンターテイメント企業となるべく、『蒸気船ウィリー』で幕を開けたのです。


さぁ、私たちも明日に向かって歩き出しましょう。そんな明日は平日だ。


完。


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『蒸気船ウィリー』を真面目に紹介する(2)ミッキーの作戦

~前回のあらすじ~
ミッキーのアニメが完成しました。


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プレーン・クレイジー


1928年5月15日、完成した『プレーン・クレイジー』はさっそくその辺で公開されました。


当時のアニメは無音のサイレントだったので、オルガン奏者の人が映画に合わせてオルガンを弾いて、BGMやら効果音やらを鳴らしていました。


その評判がどうだったかというと、「割と良い感じ」でした。


オズワルドでアニメのノウハウはありましたし、こちらにはアブさんもいますからね。ちなみにここでいうアブさんは北陽のことではありません。天才アブ・アイワークスのことです。どのくらい天才かというと、「101匹わんちゃん」のブチを描きたくないために自らコピー技術を発明するほどの天才です。



ミッキーから遡ること7ヶ月前…。


ジャズ・シンガー』という革新的な実写映画が公開されました。長編映画の一部ではあるものの、サイレント映画が主流だった当時としては世界で初めて映像に音がついたトーキー映画だったのです。


「これ、アニメにも使えるな…?」


ウォルトは早速、最新の音響システムを求めてニューヨークの代理店を探しました。ここで敢えて「最新」の設備を捜すところが実にウォルトらしいと思います。


そこでウォルトはパット・パワーズという男と出会います。パワーズは配給会社や映画館へ音響設備を販売する仕事をしており、シネフォンという独立した音響システムを持っていました。


パワーズはウォルトのトーキーマウス計画(仮)に興味を持ち、配給会社の調達まで請け負ってくれました。


メインとなる曲は「わらの中の七面鳥」(いわゆるオクラホマミキサー。)で、カール・ストーリングが編曲(※1)をしました。また、演奏の録音にあたり、ストランド劇場のカール・エドアルドが指揮を申し出てくれました。


※1...「ストーリングは本作だけピンポイントで関わっていなかったのではないか」とする説もあるようです。


当時はアニメを流しながら、効果音、声、オーケストラを同時に録音していました。機材もお金がかかるので、録り直しともなればさらにお金がかかったのです。


そのたびにお金を集めたのがウォルトの8歳年上の兄ロイ。彼は創造力豊かな弟を経営面で支えました。余談ですが、ロイと組む前のウォルトは立ち上げた会社を2回も消滅させています。


今では、東京ディズニーランドにロイ兄貴とミニー姉貴の像がありますので帰り際にでも挨拶に行きましょう。ちなみにホフディランの小宮山さんは入園して最初に行くそうです。ぐっじょぶ。


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ロイ&ミニー


録音の難しさを実感したスタッフは、


・楽団の規模を小さくする
・フィルムに曲の目印を入れる


という工夫を凝らしました。


こうして完成した『蒸気船ウィリー』ですが、やはりいつの時代も新しいものを買い取る勇気というものはなかなか出ないものであります。


結局、『蒸気船ウィリー』を気に入って上映してくれることになったのはベテラン事業家のライケンバックさんでした。彼はこの決定をする時にウォルトにこう言いました。「君にとっても良いお試し期間になるだろう。」


顔は存じ上げませんが、イケメンのおじさんであることは間違いありませんね。


こうして1928年11月18日、ニューヨークのコロニーシアターで2週間の上映が始まりました。

『蒸気船ウィリー』を真面目に紹介する(1)ミッキーの誕生

ご訪問ありがとうございます!


このたび、「ディズニー データベース」は開設10周年を迎えるにあたり、こちらの「別館」を開設する運びとなりました。


本来、本館のほうで客観的にデータを集めるのがメインであるため、映画のレビューなどをするタイプではないのですが、作品を紹介してレビューと名乗ればそれっぽく見えるだろうということでお話ししていこうと思います。


しかしながら、ディズニーの名作はネット上で素晴らしきレビュアーの方々に語り尽くされていますから、その裏側だったり独自の切り口だったり語られにくい作品だったりについて触れていこうと思います。ちなみに不定期だよ!


とは言いつつ、初回は緊張気味に。


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蒸気船ウィリー


『蒸気船ウィリー』


ミッキーの原点ともいうべき本作について真面目にご紹介していきたいと思います。


ミッキーのデビュー作にして、世界初のトーキー・アニメーション(音楽や声のついたアニメのこと)として大ヒットしました。まさに歴史的な作品です。


歴史というものは線で繋がっているので(←by 世界史がダメな人)、作品のルーツを辿るとウォルト・ディズニーの誕生以前に遡ってしまうわけですが、そこはバッサリ。必要な前提知識は…

  1. ウォルトさんは「ウサギのオズワルド」というキャラクターをつくった
  2. 友人のアブさんがオズワルドのアニメを作りまくった
  3. 配給会社にオズワルドの権利と従業員をだまし取られた
  4. ウォルトさん、「二度と人の下でなんか働くもんか」とマジギレ

以上の4点でOKです。なんだか行ける気がしてきましたね!


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オズワルド


さて、今でこそ知名度を上げてきたオズワルドさんですが、従業員もろともユニバーサル社に引き抜かれてしまいます。


ウォルトは「そんなにオズワルドがいいのか?私ならもっと面白いものを作れるぞ!」と虚勢を張ってはみたものの、駅に迎えに来た友人のアブさんに「なんか元気なくない?」と勘づかれてしまいます。


ちなみにここでいうアブさんとは水島新司先生のことではなく、アブ・アイワークスという天才アニメーターのことです。どのくらい天才かというと、彼は半年かかるアニメ制作をわずか二週間でやってのける天才です。


ウォルトとアブは「オズワルドの耳を丸くして鼻と尻尾を伸ばせばネズミっぽくないっすか?」みたいなノリでミッキーを作りました。オズワルドは既に他社のもの、今やれば確実にアウトです。


ちなみにウォルトはミッキーの名前をモーティマーにしようとしていましたが、奥さんに「それじゃ覚えにくいわ(訳:変だからミッキーにしなさい)」と言われてミッキーにしたそうです。ちなみにこれは超有名エピソードなので試験にも出ます。


しかし、ウォルトは契約のためにオズワルドをあと3話作らなければなりませんでした。


ウォルト「早くミッキー作りたい」
アブ「じゃあオズワルド作りながら作るよ」
ウォルト「えっ」


こうして天才アブの大胆な内職によって第1作『プレーン・クレイジー』は完成したのです。


…というわけで前置きが長くなったので、三連休にちなんで3日に分けてお送りします。お仕事の方々、行ってらっしゃい!


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